青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

真のプライド

 人はなぜ、過ったプライドを持ってしまうのでしょうか。

 

 ひとつに、私たち人間の心が弱く、儚いものであるからだということができると思います。では、弱い私たちは正しいプライドを持って生きることはできないのかといえば、その答えはもちろん、「ノー」です。

 

 これまでにも、私はたくさんのプライドを持った人々にお会いしてきました。しかし、そのプライドは人それぞれ形が異なるものです。ある方は仕事に生き甲斐を見い出し、プライドを持ってその職務を全うされており、また別の方は、家族を支え盛り立てることで、その尊厳を守ってらっしゃるように見受けられました。

 

 人はそれぞれ異なった価値観を持って生きていますから、人の数だけプライドの形も存在すると考えるのが自然なのです。それは当然のことで、なにもおかしいことではありません。

 

 しかし、いくら千差万別の違いがあるといえども、尊厳を持って生きる人々にはある共通したものが存在します。それは、たとえ他人からは情けなく見えたとしても、最後まで責任を全うするという意志を感じさせる姿だということです。つまり、プライドや尊厳とは、信念をもって起こす行動のなかにこそ、見い出すことができるのです。

 

 人間は誰しもが「認められたい」とか「愛されたい」という渇望を抱えて生きています。有り体に言ってしまえば、自分のことを肯定してほしいという素朴な欲求です。

 

 俗にプライドが高いとされる人々はこの自己評価が低いがゆえに、心を守るため、プライドという名の鎧を身に纏っているのです。しかし、真の尊厳を手に入れるためには、私たちはこの鎧を脱ぎ去らなくてなりません。それはいわば、聴衆の前に裸をさらけ出すことに似ていますので、とても勇気のいる行動です。なんの準備もなしに、突然飛び出すことは不可能といってもよいのではないでしょうか。

 

 では、私たちは何をすべきか。それは何よりも己を鍛え、自分自身に自信を持つことから始まります。

 

 人は成長していく過程で、誰かしらに褒められたり、好かれることによって自信を深めていきます。例えば、子どもの頃にテストで良い点をとったときのことを思い浮かべてください。ご両親かもしくは先生に褒められた記憶があるのではないでしょうか。そういった経験やそのときの感情が自分のなかに蓄積されていくにつれ、人は少しずつ自信を深めていくのです。

 

 しかし、これだけでは本当のプライドや、尊厳を持った生き方をすることはできません。人間の渇望とは際限のないものですし、それはあくまでも人による評価であり、自分で自分に対して納得していることではないからです。 そして、ここで気をつけねばならないことは、他者から与えられた自信に溺れて、視野が狭まるようなことがあってはならないのです。人間とは弱いものです。ふと油断をした隙に鼻が伸び、プライドにいたる以前に、人の評価ばかりを気にする存在になってしまうのです。

 

 しかし、長い人生のなかでは道を過ってしまったり、自分を見失ってしまうことがあるのが人間というものです。そんなときは、まず自分を見つめ直し、等身大の己を受け入れる努力をしなければなりません。

 

〝等身大の自分〟、なかなか直視することが難しい存在ですよね。人は、えてして自分の欠点に薄々感づいているところがあります。しかし、それを認めることは容易ではなく、気がつかないふりをし、目を逸らしてしまったりするものです。

 

 しかし、ここで一歩を踏み出すことができれば、私たちの前にはこれまでと違った風景が広がってきます。

 

 つまり、勇気をもって己の過ちを認め、正すことができる強さを手にしたときに、私たちは尊厳を持った生き方というものに一歩近づけるのではないでしょうか。

 

 

 

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