私がいつも言っている“気づき”に関することをお話しします。
私が言う“気づき”というのは、自分の落ち度、欠点に気づいて直すことです。言葉にしてしまうとすごく簡単なように思えます。しかし、多くの方々がなかなか気づくことができないのが現状です。そして、それが苦しみの根源となっています。
そこで、今回は“気づく”ために欠かせない事柄についてお話いたします。
“知識”。
この言葉を聞いて、みなさんは何を思うでしょうか? 学校の勉強で得た知識。生きていく中で身につけた生きる知識。本やテレビなどで知った雑学。いろいろあります。そして、みなさんはどれだけ知識を身につけているでしょうか。また、身につける努力をしているでしょうか。
この“知識”というものが、気づくためには必要不可欠な要素となります。
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ある相談者の事例
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では、分かりやすく、ある相談者の方の事例をもとにお話をしていきたいと思います。
20代前半の娘さんといらっしゃった母親(60代)のお話です。この方は、「ある時から、突然、娘の元気が無くなった。霊障ではないのか」と相談にいらっしゃいました。しかし、私はこの娘さんを見た瞬間、すぐに彼女はウツ状態なのだと分かりました。背中を丸め、母親に背を向けてうなだれていました。顔からは生気が失われ、母親いわく、「死にたい…」とまで口にしていると言います。
そこで、透視をしました。すると、やはり娘さんは強度のウツでした。中学校の頃は元気な子だったのですが、よくも悪くもなんでも口にしてしまう子だったのです。そのことが原因で、周りの友人たちから嫌われ、仲間外れにされたのです。中学生というのは多感な時期ですので、それが原因で自分の殻に閉じこもるようになってしまったのです。
そして、この母親の性格も関係していました。この母親は大学を出ていて、夫も社会的地位のある方だったので、高いプライドがあったのでしょう。「自分の子育ては正しい!」と思い、自分の非は決して認めません。また、私と話しているときもそうだったのですが、まくしたてるように自分の話ばかりして、人の話を聞く耳を持とうとしないのです。
娘さんが中学生の頃もそうだったようで、「あーしなさい」「こーしなさい」と自分の考えばかりを押しつけ、娘さんはまるでロープに縛られているかのようでした。
その頃から、娘さんは母親に対して“信頼”を無くしていたのでしょう。私は母親に伝えました。
「娘さんは霊障ではなく、ウツです。中学の頃の彼女の何でも口にしてしまう性格に原因があったようです。また、あなたの高いプライド、自分の価値観の押しつけ、そういった子育ての仕方も関係しています。霊障ではないですから、すぐに精神科に連れて行ってください」
すると、その母親はわが子のことをジロジロと見て、
「えー、ウツ?? アハハハ!」
と高笑いをするのです。これにはゾッとしました。わが子が生きるか死ぬかのときに、笑う親がどこにいますか。私は娘さんのいないところで母親に伝えました。
「あなた、娘さんから目を離したらダメですよ。今の状態は、とてもじゃないけれどここに出てこれるような状態じゃないです。本当に危険だから、帰ったらすぐに精神科に連れて行ってあげてください。娘さんは今、いつ自殺してもおかしくないくらい心が衰弱していますから」
しかし、それでも母親は実感がないようで、
「ウツってそんなに危ないんですか?」
と言います。結局、この親子は心に何も得ることもなく、また得ようともせず、ここ拝殿を後にしていきました。
娘さんが強度のウツで、ただうなだれるばかりの姿を見ていると、どうにかして助けてあげたい気持ちでいっぱいでしたが、どうすることもできませんでした……。いくら解決の道を伝えても、結局は本人たちが気づくことができなければどううすることもできないのです……。
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本当の知識って何?
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知識の話に戻ります。前述の母親は、自分も高学歴で、夫も社会的地位のある方でした。金銭的にも余裕があり、生活も裕福な暮らしをしていたようです。しかし、子どもの心を考えることができませんでした。人様よりいい生活をしていたために、いつの間にか「これでいんだ」「間違っていない」という感覚になってしまっていたのです。そして、その間違いに気づくことができなくなっていました。
でも、それとこれとはまったく別ですね。娘さんの状態を見て「危険だ」と思わないのは、うつ病に対する知識、子育てに対する知識がなかったからです。だから、「霊障なのではないか」と思ってしまったり、わが子が危険なときでも「アハハハ!」と高笑いしてしまうのです。母親は自分が知っている狭い世界だけの知識にとどまって生きてきてしまったために、娘の本当の苦しみを理解してあげることができなかったのです。
自分が持っている知識というのは、どれだけ高学歴でも、すべての知識と比べればほんの些細な、0.001%ほどのものでしかないのです。ですから人間は、常に知識を求め、それを体現していかなければいけません。本を読んでも、テレビを見ても、旅行に行っても、ただ「楽しかった」「おもしろかった」で終わらずに、「なぜこうなったのだろう?」「なぜこうじゃないのだろう?」と、なぜ、なぜ、なぜ、と頭を使って考えていかなければ、本当の知識は手にできません。
そして、知識を蓄えていくことで、自分の愚かさに気づくことができます。知識を得ていく道のりは、自分の物の知らなさを知っていく作業でもあります。新しい知識をどんどん吸収していき、あとになって過去の自分を振り返ってみてください。「あー、私って無知だったんだなー」と、自己反省するはずです。そして、それが人間の成長につながるのです。
この母親は、学歴や現在の生活環境にあぐらをかき、自分は知識があると思い込んでいたために、知識を得て成長していくことを怠っていました。だから、自分の性格の欠点に気づけず、娘さんの変化にも気づけなかった。親としての愛情はあるのに、知識がないために娘さんの問題に対する対処の仕方も分からず、私のアドバイスや周りの人たちからの助言なども聞こうとしませんでした。それは、自分の頭の中で考えていることと、周りから言われることの間にギャップがありすぎたからです。
しかし、自分の考え、思いにがんじがらめにならないで、もっと柔軟に人の話やアドバイスを聞くことができれば、ここまで状況が悪化することはなかったはずです。娘さんのことを考える中で、必ず「もしかして……」と思っていたことがあったはずです。でも、頑固なために、その思いを肯定することができなかった。
過去を振り返り、謙虚に自分のことをどこまで考えられるか。
また、娘さんの思いや心で感じていることをどこまで考えられるか。
そして、考えていく中で気づいた間違いを直していく。
それが、この親子を救う唯一の方法だったのですが、母親はこのことすら理解することができませんでした。私のところまでわざわざ足を運んで来るということは、「娘をどうにか助けてあげたい」という、親の愛情はあったはずなのに……。
ですから、1にも2にも知識を求めるのです。そして、知識を得たからといって高飛車にならないこと。いつまでも謙虚でいることが、あなたを素晴らしい人間へと成長させてくれます。
知識を得るというと、すごく些細なことと思うかもしれません。「そんなことで気づけるの?」と思うかもしれません。
でも、気づきというのは、仏教で言う“悟り”のような高度なものではなく、知識を得て、自分の間違いを認識することで得ることができるのです。でも、すごく些細なことだからこそ、なかなか気づけないんですね。
「そんなわけがない」「私たち普通の人間では辿りつけない境地だ」。
そう思うのも無理はありません。しかし、知識と素直な心があれば、なぜ知識が大事なのかが理解でき、自分の欠点を反省することもできるのです。
私は透視能力という神から授かったご利益を使って、人の悩みの根源を視ています。しかし、この能力が逆に多くの人にとってまやかしを与えると言いますか、「この世には私たちでは想像もできないような不幸の原因があって、それが視えるのだ」と周りの人は思ってしまうようです。
でも、考えてみてください。人の悩みというのは、多くの場合、人と人との間で生まれませんか? 親と子、夫婦、嫁姑、上司と部下、同僚、彼氏彼女……etc。
そして、なぜ、人と人との間で問題が起きると思いますか? それは、人それぞれ、十人十色だからです。
グチを言うのが好きな人と、グチを言うのが嫌いな人が一緒にいれば、片方は「この人はグチばかりいって嫌な人だなぁ」と思うでしょう。そんな些細なことが、不幸の種になったりします。
始まりは、自分の性格の欠点から出てくる些細な問題。それが、積もり積もって大きな不幸へと育っていきます。そうなると、容易に直せない。相手を許せない。分かっていても聞きたくない。分かっていても素直になれない。
これがカルマなのです。乗り越えるのがとても難しい。でも、人間はカルマを解消していかなければなりません。それが、神の意志なのです。だからこそ、神は修行の場であるこの世に人間を誕生させます。
世の中は人と人との繋がりで成り立っています。ですから、自分の欠点を直し、人と和合することが求められるのです。人としての“正しい道”というものがあります。それを求めるのが人生であって、一日一日、この一瞬一瞬、あなたの肉体が滅び、死ぬ瞬間までが修行なのです。
人生はつらいものです。なぜなら、乗り越えなければいけないカルマと共存していかなければいけないからです。私自身、過去に自殺を考えたこともありました。
でも、死ねなかった。
いや、厳密に言えば、神から死ぬことを許されませんでした。
それからは、人生は修行と心得、がむしゃらに生きてきました。
みなさんも、つらいこと、投げ出したいこともあると思いますが、乗り越えていってほしいと切に願っています。
そうした葛藤の中でこそ、人は成長しいくのですから。そして、それが幸せの道となるのです。
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