青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

虚栄心の恐ろしさ

 まず、〝見栄を張る〟ですが、これは言わずと知れて、身の丈に合わなくても格好をつけて、自分を大きく見せることをさします。でも、これはあくまで虚栄、つまりはまやかしのようなものですから、現実との間にギャップを生じさせてしまいます。実際に、「見栄っ張り」という言葉を聞けば、誰もがマイナスのイメージを持つのではないでしょうか。

 

 一方のプライドですが、その前にひとつ問題があります。みなさんは〝見得を切る〟という言葉をお聞きになられたことはありますか?

 

 そうです。歌舞伎役者が見せ場で目をギョロっとさせる、あの〝見得〟です。同じ〝ミエ〟という読み方の通り、双方とも、〝見える〟という言葉から派生したものだと考えられておりますが、〝見栄〟と〝見得〟では、どこか違った意味合いを持つように感じます。

 

〝見得〟も、同じように格好をつけるときに行う動作なのですが、これはここ一番という、力の見せ所で行われるときだけに限定されています。つまり、〝見栄〟がマイナスのイメージを持つのに比べて、〝見得〟には気合いを込めるというプラスの要素が加わった言葉なのです。

 

 言い換えれば、プライドをかけた決意表明とでもいうのでしょうか。同じ〝ミエ〟ならば、虚勢を張った見栄ではなく、プライドのかかった〝見得〟を切りたいものです。

 

〝見栄〟と〝見得〟、虚勢とプライドの違いをご説明させていただきましたが、今度はつまらない見栄を張ったがために、不幸な結末を迎えることとなった男性のお話をいたします。少し重い話ですが、プライドを履き違えてしまうととんでもないことになるという戒めとして、お読みいただければと思います。

 

 30代男性のEさんは大学を卒業後、他の学生と同じように就職活動を経て、一部上場企業に就職されました。彼は営業職に配属されたのですが、その職場は活気に満ちあふれており、これまでなんとなく流されて生きてきたと自覚していたEさんにとっては、同僚たちがまぶしく光り輝いているように見えたそうです。いい意味で社員同士が競い合うような雰囲気の職場で、上司から営業は第一印象が要だと教わり、できるだけ仕立てのいいスーツと靴を身にまとい、腕時計なども高級な物を揃えるようにしていました。

 

 当時、その業界は注目を浴びていたため給料は悪くなく、むしろ学生時代の友人たちと比べても多いほうで、Eさんは徐々に社会人としての自信を深めていったと言います。また、一流の人物とつき合うには一流の物に慣れておく必要があると考えたEさんは、高級車のローンを組み、入社後に結婚した奥さんとふたりで住むには大きすぎるほどのマンションを購入して、新婚生活を謳歌していたそうです。

 

 しかし、順風満帆に見えたかのような彼の人生にも、暗転の時が訪れます。'07年の世界的な金融危機を発端に、Eさんの勤める企業は急激に業績が悪化。大規模なリストラを余儀なくされ、Eさんも職を失ってしまいました。

 

 しかし、これまでに培った人脈と経験を生かし、規模は小さくなったとはいえ、再就職を果たすことができました。なんとか危機を切り抜けたかのように見えたEさんですが、本当の茨の道はここから始まったのです。

 

 再就職先でも営業職に就いたEさんですが、以前勤めていた会社の取引先や友人ともつき合いが続いており、遊びに誘われれば駆けつけ、銀座や赤坂などの高いお店を飲み歩いたりしていました。

 

 当初は貯金もあり、退職金も受け取っていたのでそれほど気には留めていなかったそうですが、徐々に目減りしていく通帳の残高に、内心は危機感を覚えつつあったようでした。

 

 でも、仕事上のつき合いや、前の会社で羽振りが良かった頃に自慢してしまった級友たちの手前、懐が寂しいなどと誘いを断ることができず、「営業職は人とのつながりが生命線だ。今は種まきの時期として、いずれ取り返していこう」と自分を奮い立たせ、貯金を食いつぶしながらの生活を続けていたそうです。

 

 本来であれば、この時点で車を売却するなり、マンションを手放すなどして、生活を見直す必要があったのですが、奥さんに給料が激減していることを伝えられず、気がつけば借金を背負ってまで、これまでの生活を維持しようとしてしまったのです。

 

 表では高級ブランド服を着ながら高いレストランで食事をし、裏では借金を返すために借金を繰り返す毎日。むろん、虚栄に満ちた生活など、いつまでも続けられるものではありません。いつしか、隠していた借金も奥さんの知るところとなり、関係は悪化。火の車の家計のなかで諍いは絶えず、最終的には首まで借金に浸かってしまい、全く身動きの取れない状態にまで落ちることになってしまったのです。そして、負の連鎖に絡めとられてしまったEさんは、ある日突然、奥さんの前からふらりと姿を消して、いなくなってしまったと言います。

 

 ひとり残された奥さんにとっては、ここからが本当の修羅場でした。あちこちでしていた借金をまとめつつ夫を捜す日々は、それこそ地獄のようなものだったことは想像に難くありません。黙って夫の帰りを待つ奥さんは、いつかEさんが戻ってきてくれると信じていたのだと思います。しかし、そんな彼女の元に一本の電話は届きました。それは失踪したMさんが他県で自殺体として発見されたという、無情な報せでした。

 

 私が最後に奥さんにお会いしたときの、疲れ果て、この先どうすればよいのかわからないというような表情を思い出すと、今でも胸がいっぱいになってしまいます。

 

 みなさんはこのEさんの最期をどのように考えますか? Eさんは確かに追いつめられていたのでしょう。それに疑いの余地はありません。しかし、これが誇りある最期であったということはできるのでしょうか。

 

 亡くなった方を悪くは言いたくありませんが、Eさんの最期はプライドや男の意地というものではなく、ただ、自分の張った〝見栄〟にがんじがらめにされてしまい、選択できる道がなくなってしまったという悲しい結末だったとしか、私には思うことができません……。解決の道はあったのに……。

 

 まれに、「自殺をする勇気」とか、「プライドを捨てるくらいなら死を選ぶ」といった言葉を聞くことがあります。一見、潔く勇ましい言葉のように聞こえますが、これは決して尊くもなく、プライドや尊厳といったものではないと思います。残された人たちはどうなるのでしょうか。自分の命を絶てばそれでいいのでしょうか。それは、勝手なわがままなのではないでしょうか。私はこうした自分勝手な責任の取り方が無念でなりません……。

 

 本当にMさんにプライドがあったのであれば、たとえ無様な姿を衆目に晒してでも妻を守り、最後まで諦めずに己の見栄と戦うべきだったのではないかと、私は思うのです。

 

「逃げてどうなる! 自分だけこの世から逃げてどうなる! どこまで逃げ通すつもりか……」

 

 厳しい言葉ですが、カルマの解消が目的であるこの人生、命を絶つことで目の前の苦しみからは解放されるかもしれませんが、カルマは解消されていないので来世で同じような過ちをまた繰り返してしまいます。

 

 見栄を張るとろくなことがありません。自分の面子だけを考えていてはプライドを保つことはできず、むしろ自分や周囲の人々までを不幸の渦に巻き込んでしまうことになるのです。プライドや尊厳というものは、必死に生きる姿のなかにこそ存在しているのではないでしょうか。

 

 

 

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