青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

プライドの落とし穴

  プライドの高い人ほど、自分の受け持った仕事を最後まで全うしようとし、決して弱音を吐かないものです。誇りの高さは仕事ぶりにも表れるようで、まさに完璧ともいえる素晴らしい仕事をされる方ばかりです。

 

 しかし、実はそのポジティブなプライドにも落とし穴があることは、あまり知られておりません。完璧だったはずの仕事がうまくいかなくなり、あまつさえ自分自身さえ壊してしまうことがあるほどの大きな落とし穴についてを、ある町工場の男性を例に考えていきましょう。

 

 Dさん(50代)は、お父様から引き継いだ町工場を経営されていました。頑固一徹で厳しいですが、叩き上げの職人らしい完璧さを求めるモノ作りには定評があり、不景気の中でも安定した業績を上げておられました。

 

 でも、どんどん早くなる時代の流れに対する不安と、そろそろ自分の代が終わることを考えて、少しでもよい状態で次の世代に会社を譲りたいと思うようになったと言います。

 

 Dさんは、そのためには仕事を増やすことが一番だと結論づけ、以後、取引先や新しく紹介された企業に営業をかける毎日を送っていたそうですが、元来は職人です。現場に戻りたい気持ちを押し隠しながら、靴底を減らし、営業にいそしんでいたと言います。

 

 しかし、どうしても新しい契約を取ることができず、どの企業からも「またいつもの頼むよ!」とか、「また機会があればよろしくね」という返答ばかりで、いっこうに成果を上げることができないでいました。

 

 技術には自信があり、新しいことへ挑戦したいという気概も持っているのですが、これまでと変わりばえしない仕事ばかりで、内心、ふがいない気持ちを持っていたそうです。

 

 現場にも営業の仕方にも問題がないのに、なぜこの結果なのか。答えを探し続けるなかで、長男から指摘された言葉がDさんを変えることとなります。

 

「親父はプライドの意味を履き違えている」

 

 頑固一徹を売りにしているDさんのことですから、「なにを! この若造が!」と憤慨する反面、はたと思い当たる点があったと言います。

 

 確かに自社の技術は高く、どこに出しても恥ずかしくないのですが、完璧さを求めるあまりに時間がかかるという弱点を抱えていたのです。さらに、他社と協力しながら行えば早くすむ作業も、Dさんは自前の工場で手がけることにこだわってしまい、それがかえって納期に遅れをだす結果になっていたのです。 つまりは「あそこは技術は確かだが、仕事が遅い」という評判が立ってしまっていたために、本末転倒な状況に陥っていたのだと、Dさんは気がつくことができたのです。

 

 その答えを見つけたあとのDさんの動きは非常に早いものでした。技術へのプライドはプライドとして残しつつ、無用な意地を張ることはやめて、委託できる業務は素直にお願いするようにしたところ、状況は瞬く間に一変。

 

「遅い」という悪評を挽回することに成功し、徐々にではありますが、新しい仕事が入ってくるようになっていったそうです。

 

 Dさんの話からもわかるように、プライドの高い人の仕事は正確できっちりとしたものです。しかし、度が過ぎた完璧主義は周囲への迷惑につながることあるということを忘れてはなりません。

 

 責任感は人として大事なものですが、それと同じように、周りを見渡す余裕や頭を下げてお願いするというような柔軟さも、物事や社会を円滑に進めるためには、欠かすことのできない大切な要素なのですね。

 

 また、Dさんは遅まきながらそのことに気づくことができ、人生の折り返し地点において、方向を転じることができました。

 

 しかし、プライドの高すぎる完璧主義者のなかには、遊びの部分を作ることができず、自分自身を追い込んでしまうタイプの方がいます。

 

 プライドの根本的な本質は、承認欲求にあるといわれています。つまり、「認めてほしい」という強い願望です。誰だって「認められない」ことに対する恐れを抱くものですが、自尊心の強い人間はその恐怖が人一倍強いために完璧主義に走り、見栄を張ってしまう傾向が見られます。

 

 しかし、これはどこまでも続く螺旋階段のようで、ぐるぐると廻り続けてしまう恐れをはらんでいるのです。プライドの高い人が追い込まれてしまう場合、〝完璧さを求めるあまり時間が足らなくなり、時間が足らなくなるがゆえに完璧に届かない〟というジレンマを抱えています。そして、このジレンマがストレスを生み出し、ストレスは己の自信を蝕み、やがてはプライドごとその人物を押しつぶしてしまうことがあるのです。

 

 完璧主義者は、一度心が折れてしまうと脆いといわれる理由は、このプライドの落とし穴があるためだといえるのではないでしょうか。

 

 プライドばかりを先行させた完璧主義の先には、戦いの人生しか残されていません。しかも、それは決して勝ち目のない戦いで、戦うことをやめてしまうと、すべてを失う不毛な戦いです。

 

 そのような完璧主義にはなにものも生み出すことはできませんし、張り続けた弓の弦はいずれ緩んでその力を失います。

 

 つまり、度の過ぎたプライドは周りの人々を傷つけ、自らをも殺しかねない、恐ろしいものであるという認識を持たなければならないのです。

  

 

 

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