青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

人と自分を比べて妬む愚かさ

〝妬み〟とは、自分と他人を比較して、相手が自分にないものを持っていたりですとか、自分にはできないことを相手が成功させたときに感じる羨望から生まれます。その「羨ましい……」という小さな火種が、己の劣等感や不公平感によって増幅されてしまい、嫉妬という名の暴力的な炎へと変貌してしまうのです。

 

 その嫉妬の中には、相手への羨望と否定が入り乱れています。つまり、相反するふたつの感情がそれぞれを刺激し合い、葛藤している状態です。

 

 人は誰しも、それぞれ生きてきた歴史を持っています。それは、他人には見えなかったり、知られたくないことまでもが含まれており、まさに〝積み重ねてきた自分だけの歴史〟です。その中には、「今は素晴らしい時間を過ごしているけど、過去は大変つらい日々を生きてきた」ですとか、反対に「以前は恵まれた生活をしていたけど、現在は厳しい状況である」とか……。特に後者の場合、憎しみが妬みの火種として生き残ることも多いようです。

 

 また、歴史が証明するとおり、持たざる者が持つ者に対して抱く感情、いわば、〝恨み〟はそう簡単に解消することができません。それゆえに、嫉妬というものは深刻な問題へと発展してしまうことが非常に多いのです。

 

 ここでは、みなさんが常日頃から気を配って生活している、ご近所づき合いを事例として、〝妬み〟の持つ怖さ、そして、その愚かさを考察していきましょう。

 

 人間関係のトラブルでは、〝妬み〟が関係していることが大半です。また、その中でもご近所づき合いにおけるもつれでは、とにかくこの〝妬み〟というものが、そこかしこに顔を出してきます。

 

 先日、私のもとにあるご夫婦(以下、Mさん)がいらっしゃいました。M夫妻は子どもの誕生を契機に郊外へと引っ越しており、すでに30年近い時が経っていました。10数年ほど前には、隣にひと回りほど若いご夫婦(以下、Nさん)が移ってこられたのですが、これまで特に問題もなくおつき合いをされていたと言います。

 

 M夫妻の家ではすでに子どもたちも独立しており、これからは自分たちの時間を大切にしていこうと話していました。また、すでに子どももおらず部屋が余っていたので、老後を住みやすくするために自宅の建て替えを行うことにしたと言います。しかし、これが契機となって、隣家との間に大きなトラブルが起きるなどとは、このときは想像だにもしていませんでした。

 

 工事が始まると、すぐにN夫妻からの嫌がらせが始まりました。業者に対して「音がうるさい」とか、「工事の時間が長過ぎる」とか……。

 

  いわゆるクレーマーといった類いのもので、業者も驚いていたと言います。もちろん、Mさんのほうでは工事の前にご近所には挨拶に伺い、工事も週末や祝日は休み、平日の作業もごく一般的なもので、周囲には配慮をしていました。ですから、工事さえ終わってしまえば元に戻れると、M夫婦は相手の要望をできる限り受け入れていたと言います。

 

 しかし、建て替えも終わり、新居に越してきても、Nさんの嫌がらせはなくなるどころか、加速していきました。それも、雨戸を絞める音がうるさいというような些細なことで怒鳴り込んできたり、あることないことを近所に言いふらしたりするなど、目に余るものだったと言います。

 

 対処に困ってしまったMさんは、Nさんと同世代の友人にどのような人物なのか尋ねてみると、N夫婦は少しでも自分の息子より他人の子どもが目立つと、すごい剣幕で騒ぎ立てることで有名であることがわかりました。

 

 また、M夫妻の奥さんはガーデニングが趣味で、建て替え以前から庭を綺麗にしており、多くの近所の方から花の育て方を尋ねられたりしていました。同じように園芸が得意であったNさんとしては、これも気に食わなかったのでしょう。徐々に嫌がらせの矛先は庭に集中していくようになり、花壇が荒らされてしまうほど、行動がエスカレートしていったと言います。

 

 もちろん、N夫妻の嫌がらせの根底には、家を新築したということに対する〝妬み〟の感情が流れています。その羨ましいという気持ちが爆発してしまい、常識では考えられないような攻撃となっていったのです。

 

 しかし、Mさんからしてみればたまったものではありません。長い間、目の敵にされて迷惑行為を受けてきたMさんは疲弊し、趣味であったガーデニングを止めてしまいました。さらに、元来は活発でよく外に出掛けていたそうなのですが、家を出ることが怖くなってしまい、こもりがちの生活になってしまったと言います。

 

 結局、数年後にはN夫妻の悪評は近所中に知れ渡り、孤立。N夫妻は引っ越しを余儀なくされ、嫌がらせ行為はなくなりました。しかし、それでもすべてが丸く収まったとは言いがたいものがあります。

 

 元気になってきたとはいえ、Mさんたちが失った時間を取り戻すことはできませんし、いわれのない非難で受けた傷が消えたわけでもありません。また、N夫妻にしても、自分たちが感情に振り回されてしまったばかりに、家を手放し、その土地を出て行かざるを得なくなってしまいました。

 

 このように、〝妬み〟というものはどこに転がっているかわかりません。また、その結果が予想もできないほど悪い方向へと進み、関わる人すべてが疲れ、傷つくことにもなってしまいます。

 

 では、なぜ人はN夫妻のように〝妬み〟に翻弄されてしまうのでしょうか?

それは、嫉妬に狂ってしまう人の視野の狭さに原因が存在します。

 

 人を妬んでしまうときというものは、必ずと言っていいほど、その妬みの対象を一方的にしか捉えていないという現実があります。つまり、自分の立っている方向からしか、その物事を見ていないということです。

 

 例えば、家を建てるにはたくさんのお金が必要になります。M夫妻にしてもそれは同じで、ご主人は定年退職を延ばして、そのローンを支払うために頑張っていたのですが、Nさん夫妻はそれを一点からしか見ることができなかったのです。一方的に自分の感情だけで相手の事情を考慮できなければ、やがては〝妬み〟が生じてしまうものです。また、この負の感情の渦の中では、〝妬む者〟は心落ち着かず苦しみ続け、〝妬まれた者〟も憎しみを抱く結果になってしまうのです。このふた組の夫妻のような場合、「相手にも事情がある」と思い至ることさえできていたのならば、ここまでこじれることもなかったはずです。

 

 物事には常に、裏表があります。あることを達成するためには、あるものを失う。社会というものは、そのようなバランスの上に成り立っています。ある意味では自然の摂理ともいえるこの現実に、いち早く気がつく人と気がつかない人がおりますが、両者の運命には大きな差が出てきてしまうのです。

 

 また、〝妬み〟というものは、人を破滅に導くだけではありません。Nさんのケースを見ても、〝妬み〟が持つもうひとつの弊害を見て取ることができます。

 

 もうひとつの弊害とは、〝妬み〟を持ってしまうと、感情をコントロールできないため、己の心の成長まで止めてしまうということです。

 

 Nさんも本来はガーデニングを趣味としていました。Mさんの庭に矛先が向かっていくことから見ても、そこには妬みがあったとわかります。しかし、相手が上手にできるから攻撃したとしても、それが自分の成長につながることはありません。感情としては、相手を攻撃することによって相対的に自分の地位が上がったかのように感じるかもしれませんが、それは錯覚であり、自分自身に対するごまかしにすぎないのです。

 

 何度も申しますが、人は日々の生活のなかで成長していかなければなりません。そのためには、学ぼうとする謙虚な姿勢が重要となってきます。自分にできないからといって、その対象を攻撃するようでは、貴重な学ぶ機会を自らドブに捨てているようなものだということを、私たちは肝に命じなくてはいけないのではないでしょうか。

  

 

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