私たちは普段、何気なく人と話し、何気なく人と関わりながら生きています。
そのことを特に意識することもなく、会話も日常生活のひとつとして、特筆すべきことではないと捉えがちです。しかし、本当は会話というものは、私たちの人生にとって非常に大切なことなのです。
私たち人間は常に誰かと関わりを持って暮らしています。人と人の関係性の中で、お互いに学び合い、助け合って生きていく。それが、「人間とは社会で生きる存在」といわれる所以であり、ヒトという生物の本質です。
鋭い牙も爪もない私たち人間が、ほかの生物を抑えて食物連鎖の頂点に立ったのは、その特出した〝社会性〟にあるといわれています。
私たちは言語を駆使して高度な社会を形成し、類をみない文明的発展を遂げました。現在においても、私たちは社会のなかに生まれ、そして育ちます。人はひとりでは生きていくことはできず、社会という〝人と人の関わり〟のなかで生きているのです。
この社会を構成する人と人をつないでいるのがコミュニケーション、つまり、会話です。
ふだん、慣れの中で何気なく発しているひと言ひと言が社会を構成し、相互に関係しながら私たちは生きているのです。しかし、その重要性を意識する人はそれほど多くはありません。ともすれば、会話は日常のなかに埋没していってしまい、特段意識することもなくなってしまうのです。
〝コミュニケーションはキャッチボール〟という言葉をよく耳にします。
ボールがきたら一度受け止めて(聞いて考えて)、投げ返す(話す)。これが本来の会話のはずです。しかし、現実はどうでしょうか。
世間にはひたすらボールを投げ続ける人もいれば、受け止めずに打ち返してしまう人もいます。正しい姿のキャッチボールは鳴りを潜め、独りよがりの自分勝手な会話ばかりをしてしまっている人がいます。
人は、自分の見聞きしたいものだけを見聞きする傾向を持っています。例えば、新聞の読み方を想像してみてください。多くの人は、自分が興味を持っているトピックしか読まず、そのほかの情報はあまり関心を持ちません。
日常における会話でもこの傾向は見られ、人は案外と聞いているようで人の話に耳を傾けていないものです。
自分に関係があったり興味のあること以外は意識して聞いておらず、要は〝聞き流している〟状態です。
その結果、たとえちゃんとボールを投げかけたとしても、相手は全く別の捉え方をしている場合が少なくなく、意思の疎通が十分ではないことが往々にしてあるのです。
受け取る側は聞きたいように聞き、投げる側も投げたいように投げる。もちろん、これではキャッチボールにはなりません。お互いがお互いに好きなように話しているだけで、点と点(お互いの思考と思考)が結びつくことはないのです。
ひとつ、事例をご紹介いたします。
ある恋人たちがいました。30代を目前としたふたりはそろそろ結婚も意識しているのですが、なかなか話が進みません。お互いがお互いにじれったさを感じつつあった休日のことです。彼女の自宅で久しぶりの余暇を楽しんでいると、些細なことで喧嘩に発展してしまいました。
男性「そろそろ、ふたりで住むところを決めないとね」
女性「(頭の中で——確かにそろそろ家のことも考えなくちゃ。あっ、今月の家賃まだ払ってなかった……——)銀行に行かなくちゃ!」
男性:「なんでいきなり銀行なんだよ! 人の話聞いてるのかっ!? 」
女性:「なんで怒るの? 」
いかがでしょうか? みなさんもこういった些細な会話による喧嘩の経験があるのではないでしょうか?
なぜ、このような会話のズレが起こるのか。これはお互いがお互いの話をしっかりと受け取っておらず、言葉のキャッチボールがうまくできていないために起こるのです。
男女の脳に違いがあることは広く知られています。
男性は左脳を中心に会話を組み立てますので、理路整然とした流れの中で、ひとつのことを掘り下げるような会話を求める傾向があります。
一方、女性は男性と比べて左脳と右脳をつなぐ脳梁が大きいため、情報伝達が有利であるとされています。女性の会話が次々と展開していくわけは、ひとつの話を多角的に捉えることができる情報伝達能力にあるのではないかといわれているようです。
では、この男女の差は埋めることができないのかというと、決してそんなことはありません。
これまでの相談者を見ていると、このようなズレはコミュニケーション不足や不注意などで、つまり、お互いの思いやりが足りていないことが原因ですから、日々の訓練や努力によって、乗り越えることができるのです。
会話というものは、ただ単純に言葉をやり取りするものではありません。
日常生活の中ではどうしても忘れがちですが、会話とは気持ちのやり取りなのですから、お互いが「自分、自分!」と自己主張ばかりしていては、理解し合うことは難しくなってしまいます。
ですから、まずは相手が考えていることを思いやるということを大前提として、女性は相手の男性がどんなことを求めているのかしっかり聞く。
いわば、ボールをしっかりと受け取ることを意識しなくてはなりません。特に、男性が疑問形でボールを投げかけてきたときには注意が必要です。疑問に対してなんらかの回答を出さないと、「俺の話を聞いていない」と思ってしまう場合が往々にしてあります。
一方、男性は、まずは何よりも短気を起こさずに、相手の女性がどのような思考回路を持っているのかを知らなくてはなりません。たとえ、話が繋がっていないように見えても、そこにはちゃんと会話の道があるものです。
ですから、もし話が見えなくなってしまったときは、なぜ話がそこに行きついたのか、怒らずに聞いてみてください。
感情に流され、相手を見下したり、相手の考えや行動を無視したような言動を取ると、それは会話ではなくただの文句、口撃になってしまいます。
相手の女性のことを本当に愛しているのであれば、よく彼女のことを理解してあげなければいけません。
一般的に、〝自分の我〟が譲ることができないがために、人はいがみ合いを繰り返すものです。
若い男女に限らず、ふたりで年月を重ねた夫婦でも、「話が飛びすぎてるよ」と優しく伝えてあげたり、女性も話が飛んでしまったと気がついたときに、「ごめんね」と素直に謝ることができれば、問題はないはずです。
相手がしっかりとフォローをしてくれる姿というものは、コミュニケーションを取ろうとしている証になります。
人間は気がつかぬうちに意地を張ってしまいますが、それはカルマの蓄積を意味し、是正しなければならないものです。
そのことになかなか気がつけないものですが、私たちは自分の行いがカルマを生み出しているということを知り、我を通す負けず嫌いな性格を利用して、己の欠点を直していくのです。それが、やがては運命を切り開いていくことに繋がります。
カルマという、目には見えない〝厄介なモノ〟に勝つことは容易ではありません。しかし、自分が背負ったカルマとは、己自身にしか戦えず、己自身にしか打ち勝つことはできないものだということを、私たちは忘れてはいけないのです。
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