自分ではなかなか気づきにくい欠点のひとつに、まず、「表現力のなさ」ということがあげられると思います。
たとえば、こんな例があります。
その日、相談に訪れたのは、五十歳代の女性。その方はまず、ご自分の体調が悪いことから話されたのですが、
「今、体調がすぐれないんです。実は私、小学生のときに側湾症の手術をしていまして。あ、でも、それは今では治っていて、病院に行っているわけではないのですが、五十歳を過ぎたあたりから、元気がなくなってきて、眠りは浅いし、肩が凝るし、やたらに汗が出て困っています。あと、中学生のとき、体の具合が悪いときに霊障だと言われたことがありました」
というように、話があちらこちらに飛ぶのです。
そこで私は、要点を絞ろうと必死で質問したのですが、私の質問に答えることもなく、とめどなく自分のことを話すのみです。
しかも、今度は、
「そういえば、小学校に上がる前に川で溺れそうになったこともありました」 と、要点を絞るどころか、体のことに関する、思い出せる限りのことを伝えようとし始めます。
これでは余計、話にまとまりがつきません。仕方がないので、私のほうで、 「この人はいったい、私に何を聞きたいのだろうか?」というふうに考えを巡らせ、その方が話された内容をまとめて、
「あなたは、体調が悪いのはなぜか、ということを知りたいのですね」
と聞くと、意外なことに、
「そうじゃありません」
という答えが返ってくるわけです。
普段は、相談の内容を聞いてから神にお伺いをするのですが、こういう場合は話を続けても埒があきませんので、仕方なく、神に聞いたほうが早いと思い、この段階で神にお伺いを立ててみることにしました。
すると、神は私に次のように言ったのです。
「この人の汗が出ているのは更年期障害からきている。肩凝りもそうである。
ただし、本人はそうであるとは認めていない。なぜなら、どこかの霊能者から『体調が悪いのは霊障からきている』と言われたからだ」
そこで私はその方に、神から教えられたとおり、
「あなたは、ご自分が最近、汗が出たり、肩が凝ったりして体調が悪いのは、霊障のためだと思っていますね。だから、私のところに来たんですね」
とお伝えしたところ、その方は、
「もちろんです。だから来ました」
と答えたのです。
こういった質問内容でしたら、たとえば、
「私は最近、体調が思わしくないんです。眠りが浅いし、汗が出るし、肩が凝ります。これは、霊の障りからくるのでしょうか? それとも体のどこかが悪いんでしょうか?」
ということで済むわけですが、透視能力がどんなものかがわかっていないために、要領を得ない言葉を発してしまうのです。
こういった方と接するたび、
「ああ、この方は、透視の意味もわからなければ、まとめて話すことの重要さも理解していないんだな」
と痛感するのですが、ご本人がそれを何とも思っていないことが、何より問題ではないでしょうか。こういう方は、「話を聞いてください」と注意をしても意味がわからず、ただ私に“叱られた”と思ってしまいます。
そもそも、話をまとめることができないと、“自分の言いたいことを相手に伝えられない”わけですし、また同様に、“相手の話の内容もしっかりととらえられない”人間になってしまいます。
これでは、ちゃんとした会話というものが成り立たず、意思の疎通が十分にできないのではないでしょうか。
この「表現力のなさ」という欠点があるために、この方はこれまで、いったいどれほど損をしてきたのかと思わざるを得ませんでした。
そこで私は、
「ご主人とは夫婦ゲンカが多くはないですか?」
と、ご家族との関係を聞いてみたところ、
「夫とはケンカが絶えなくて、すでに離婚しました」
と言います。さらに、かわいがって育てた長男とは絶縁状態。嫁に行った長女はたまに実家に帰ってくるものの、ケンカが絶えないとのことでした。
こんな例もありました。ふたりで相談に見えた六十歳代のご夫婦です。
「私の長男が今、ガンで入院しているのですが、命は大丈夫でしょうか?」
と奥さんが言うのですが、いろいろ話を聞いていると、どうしても年齢や状況が合わなくなってきます。そこで私が、
「ご病気の方は、あなたのご長男ですよね?」
と確かめると、一緒に来られたご主人も、
「お前の長男だよな」
とおっしゃいます。それでも話の辻褄が合わないので、その方が〝長男〟と呼ぶ方の生年月日を聞いてみると、相談者より年齢が上なのです。
そこで私が、
「ご病気の方は息子さんではなく、あなたの一番上のお兄さんですね?」
と質問をしても、それでも違うと言います。こんなやりとりを何度もくり返して、やっと確認がとれるのです。
要するに、家の中だけで使っている言葉は、家族以外の人には通じない、ということに気づいていないわけです。これでは、友人との会話もうまくいかないのではないでしょうか。そして何より、こういった慣れの言葉が多く使われる環境で育った子供は、家の中と同じような発言や行動を外でもしてしまい、それがトラブルにつながることも多いのです。
また、このような「表現ベタ」の方は、往々にして、人の話を聞くことができず、自分の間違いも認められない場合が多いように思います。
たとえば、私が相談に答えようとしているときに、私の言葉をさえぎるようにして、ご自分の意見を言われるようなことが実に多いのです。
そうすると、神からの言葉をお伝えしようと思っているのに、大切なことがどこかに飛んでしまい、しっかりとしたアドバイスができなくなります。
そして、困り果てた私が、
「あなたは聞く側。私は答える側です」
と強く言うと、“悩んでいるのに何も言わせない”となるわけです。
私との会話に限らず、人との会話の中で、相手が話しているのに、自分が自分がと一方的に話したりしていると、相手の言おうとしている意味も理解できません。ここを直さなければ、ものを覚えることもできませんし、気づきを得ることもできなくなってしまいます。
自分は「表現ベタ」かもしれないと少しでも思ったなら、その欠点を認め、直していけばいいのです。人との関係を育むには、何といっても会話です。言葉が大切です。そのことをしっかりと頭に入れ、行動してほしいものです。
まずは聞き上手を目指し、相手の言葉を最後まで聞くように心がけ、相手の心も理解できるように訓練すべきだと思います。
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