青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

選択肢を狭めるプライドの弊害

   成功を収める人ほどプライドを持つことからわかるとおり、本来、プライドは人間の成長に欠かすことのできない大切な要素のひとつです。しかし、プライドは持ち過ぎるがゆえに失敗してしまったり、成長を滞らせてしまう怖さも秘めており、扱いの難しいものです。

 

 過剰なプライドが問題を起こすシチュエーションはそれこそ星の数ほど挙げることができますが、その中でも特によく目にする弊害について、詳しく考えていきましょう。

 

  ●弊害その1 腐っても鯛! 優しさに気がつけぬ人々

 

 腐っても鯛。「優れたものは多少悪い状態になったとしても、本来の価値を失わない」という意味を持つこのことわざです。最近では使われることも少なくなってきましたが、ほとんどの方がその意味を知っている有名なことわざです。この言葉自体に悪い部分はないのですが、良くない形でプライドが加わってしまうと、少し面倒なことが起きやすくなってしまいます。

 

 この弊害は、過去に一定の成功を収めていたり、裕福な生活を送られてきた方や、結婚前に親から甘やかされてきた方によく見受けられます。

 

 例えば、会社が倒産したなど、成功から一転して転げ落ちてしまうと、人間はなかなか素直になることができません。家業が潰れたために学費の高い私学から公立学校へ移ったなどという話はそれほど珍しくもないですが、この際に問題を抱えてしまうお子さんは少なくありません。

 

 相談に訪れた方なのですが、親が大きな事業をしていたものの倒産してしまい、それが原因でその後40年近く、成功している人を恨み続けてきたという方がおりました。いつまでも、過去の栄華が頭から離れずにいるのです。

 

 人も羨む優雅な生活から、ごく平均的な生活に否応なく投げ込まれてしまうわけですので、これまでの生活環境から「私は周りとは違う」と思ってしまうことも、無理からぬことです。大人であっても受け入れるのに覚悟が必要なことですし、ましてや子どもにとってつらいのは当然なのかもしれません。

 

 しかし、〝腐っても鯛〟の精神を発揮してしまっては、人との間に溝を作ってしまうことになるのです。もちろん、なかには最初から悪意や底意地の悪い目を向けてくる人もいます。悲しいことですが、狭い社会の中にあっては、避けることのできない事実です。

 

 しかし、新しく出会った人やこれまでつき合ってきた人々のなかにも、相手の状況に胸を痛め、暖かい目を向けてくれる人はいるものです。それなのに、過去の栄光ばかりにすがって、すべての人をシャットアウトするような気配を醸し出してしまうのはいかがなものでしょう。それは、新しい大地に巻かれた種の芽を自分で摘んでしまうようなことです。

 

 ですから、昔のことや、自分と相手の立場を比較して持つプライドは、他者との間に決定的な溝を生みかねない、悪質なものだと心得る必要があるのです。

 

  ●弊害その2 現代にはびこるカースト制度

 

 人間は社会の中で生きる動物であり、誰しもが多かれ少なかれ、集団の中に属して生活しています。会社や学校はもちろんのこと、最小単位でいえば、家族だってひとつの集団です。

 

 集団の和を保ち、同じ方向へ進むためには、一定のルールや秩序が必要となってくるのは当たり前のことです。それに、人が集まればリーダーシップを発揮してみなを引っ張っていく人と、それに従う人といったように、ピラミッド型の人間関係(ヒエラルキー)が生まれてきます。

 

 みなさんのご家族を思い浮かべていただきたいのですが、まずは父がいて、母がいます。その下に子どもたちと続いていきますよね。

 

 このようにヒエラルキーはある意味必然といえますが、やはりこれも度が過ぎてしまうと、人間関係のもつれへとつながっていきます。

 

 人はプライドを持つものなので、なにかというと自分と他人を比較してしまいます。その比較が集団全体に普及していくことによってヒエラルキーは確立されていくのですが、しばしば問題が勃発することは避けられません。

 

 そこで、ママ友の関係を例として考えてみましょう。

 

 ママ友というひとつの小さな集団でも、〝比較〟という名の格付けは行われています。例えば、「あの人は○○大学を出ている」とか、「旦那が一流企業の役持ち」などという肩書きに始まって、収入や住居環境、着ている服のレベルなど、それこそ美醜にいたるまで、ありとあらゆるものが換算され、暗黙の了解の中で、いつの間にか自然とピラミッドを構築していく場合があります。

 

 しかし、人間の心とは弱いもので、力を持つ者がどうしても横柄になってしまったり、わがままを言うようになってしまうのです。そして、やがてはインドを蝕んできたカースト制度のように〝強固な階級意識〟として定着されていき、「私はランクが高いのだから、これぐらいは許される」といったような感情が横行することとなってしまうのです。

 

 ボスの座に収まった人にとっては、居心地のいいものかもしれません。しかし、下層と位置づけられてしまった人はどうなるのでしょうか? また、中位に位置する人も、自分より上のカーストの機嫌は伺うわりに、下位のママ友に無理難題を押しつけてしまったり……。

 

 こんな状態を、健全な集団と呼ぶことはできません。時が経つうちにギスギスした雰囲気が蔓延することになり、思ったことも自由に発言できない硬直した集団へと変貌していってしまうのです。

 

 また、このヒエラルキーの問題はママ友だけでの話には留まりません。ママカーストの他にも、会社でのオフィスカーストや学校のスクールカーストなど、さまざまなところで起きている事象なのです。

 

 特に深刻なケースにいたってしまうのがスクールカーストです。密度の濃い関係のうえ、抜け出すことも難しい学校では、近年、同級生を殺してしまうなど、凄惨な事件が多発しており、その裏側にはこのカースト問題が根深く腰を下ろしていると指摘されています。

 

 まさにプライドのかかった格付けのなかで、最悪の事態を迎えてしまう可能性を抱えた、非常に難しい弊害だといえるのではないでしょうか。

 

  ●弊害その3 知ったかぶりが成長を阻む

 

 若い頃に好きな人の前でいい所を見せたくて、見栄を張ってしまった。そんな経験をお持ちではありませんか? 人間ですから、ちょっと格好をつけたくて知ったかぶりをしてしまった過去などは、誰にだってあるものです。

 

 でも、そういう見栄はすぐに相手に見透かされてしまいますよね。

 

 では、なぜこの知ったかぶりを第3の弊害として挙げたかと言いますと、〝余計な〟プライドを持ってしまった人は、この過ちを繰り返してしまう傾向が強いように思えるからです。

 

 例えば、余計にプライドが高いものですから、どうしても「知らない」というひと言が言えない。知らないことを恥ずかしくて、知ったかぶりをしてしまうのです。

 

 その結果、勘が当たって知らないことを隠し通せることもあるでしょうが、人生はそう甘くはありません。多くの場合、どこかで辻褄が合わなくり、ボロを出してしまうのが現実です。

 

 それに、知ったかぶりをするようなプライドを持っている人は、なかなか過ちを認めることができません。そのため、誰かに間違いを指摘されると、「これでいいんだ。私が絶対正しい」とばかりに逆ギレをしてしまう。当然ながら、そんな人に対して尊敬の念を抱くことはできません。また、自信のなさの表れなのか、知ったかぶりをした人は見透かされたことをすぐに感知します。

 

 すると、汚名を返上しようと躍起になって嘘を嘘で塗り固め、やがて自分でもどれが嘘なのかもわからなくなり、同じ過ちを繰り返してしまう人がたいへん多いのですが、それでは周囲の人々は呆れる一方で、やがては嫌悪される存在になってしまいます。

 

 また、人間関係を脇に置いてみても、いつまでたっても本当の答えを知ることができないわけですから、その人自身の成長はそこでストップしてしまいます。恥をかきたくないというプライドのために視野が狭くなり、人との関わりさえ失ってしまう。これでは自分で自分の首を絞めてしまっているようなものです。

 

 一時の恥ずかしさのために未来を失うことほど、もったいないことはありません。ですから、何度も何度も同じ過ちを繰り返す前に、知らないときは知らないと言える謙虚な姿勢を手に入れなくてはならないのです。むしろ、正直なほうが相手は好感を持ってくれるのは言うまでもないことなのではないでしょうか。

  

 

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