青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

七度契りて親子となる

 「おぎゃー、おぎゃー」

 

 この世に生を受けた人はみな等しく、泣き声を上げることから一生を歩み始めます。

 

 元気な産声を上げる我が子を初めて胸に抱いたときの感動というものは、言葉では言い尽くせないものがあるのではないでしょうか。

 

 壊れやすい宝物をそっと手に取るように、愛しい我が子を優しく抱いて母乳を与える喜びは、母となった幸せや誇らしさ、未来への希望など、さまざまな思いで彩られていることでしょう。

 

 それにしても、命はなんと不思議なものでしょう。

 

 そもそも、ひとつの命がこの世に誕生するということ自体、神秘に満ち満ちていますが、しっかりと自覚していただきたいことは、そこには天の計らいが働いているということです。

 

 結婚後間もなく懐妊される方がいらっしゃる一方で、なかなか子供ができず、結婚後十数年経ったのちに、やっと子宝に恵まれる方もいらっしゃいます。

 

 それもこれも運命で定められたことなのですが、どちらのほうが幸せなのか、どちらのほうがよいことなのか、といった区別はそこにはありません。

 

 さらに言うなら、どの両親の元、どんな環境のところに生まれてくるのか、あるいは、男の子として生を受けるか、女の子として生きていくのか・・・。

 

 それら、宿命と呼ばれるものもすべて、その子が持つカルマによって、生まれる前に定められているのです。

 

 神から教えていただいたことをそのまま申し上げるなら、あの世から再びこの世へと生まれてくる準備が整った魂は、自分の魂に合う親を天界から探します。

 

 そして、カルマがピタリと符合する親の元へと降り、母胎の中で育まれたのち、この世に誕生してくるのです。もちろん、天の計らいが働いているわけですから、そこには万にひとつの狂いもありません。

 

 古くから伝わる諺にも「七度契りて親子となり、三度結びて兄弟と生まる」というものがあります。これは、親子、兄弟の縁は遠く前世からの因縁によって成り立っている、ということを表した諺ですが、そのように、親子の縁にはそれはそれは深いものがあるのです。

 

 つまり、どんなに性格が違う親子であろうと、出生後、すぐに里子に出されることになろうとも、あるいは、やがてお互いに憎しみ合うことになってしまう親子であっても、親子となる定めであったことにおいてはみな同様。その親の元に、子供として生まれてくるご縁であったことにおいては、なんら変わりはないということです。

 

 まずはそのことを、どんなことがあっても、心の片隅にしっかりと収めておいていただきたいと思います。

  

 

 

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