『夫婦の情愛こそが子育ての礎①』の続きです
先日、ご相談にみえた方で、こんな方がいらっしゃいました。
その方は57歳の女性。若い頃に女遊びをしたご主人が反省もせず、いまだに自分勝手で、暴君のように振る舞うことが許せず、毎日ケンカが絶えないという相談で、1年前にも一度いらっしゃたことがあります。前にいらしたときは、
「主人のことは死ぬまで許せません。パートで疲れていてもちゃんとご飯を用意しているのに、グチグチと何をしても文句ばかり言われて、最近は顔を見るだけで腹が立ちます。こんな亭主、いっそ、早く死んでくれたらいいのに……」
次から次に出てくるのは、ご主人に対する罵詈雑言。一緒にいらっしゃった娘さんの前で、30分ほどもご主人の悪口を身振り手振りで話します。
その間、娘はうなだれていて、時折、涙を手でそっと拭うのです。その方が、今回はおひとりでおみえになり、
「実は、主人が2ヶ月前に亡くなったんです……」
と肩を落として言うのです。聞けば、ご主人は末期ガンだったそうで、気づいたときにはすでに手遅れ。入院して1ヶ月と経たないうちに亡くなったと言います。
そして、彼女の口から出てきたのは、
「とてもいい主人だったんです……優しかったんです……。私が悪かった……」
という、思いもかけない言葉でした。
私は「えっ!?」と、のど元まで出かかった驚きを飲み込んで、ひとまず近況を尋ねてみることにしました。というのも、あまりにも彼女が憔悴しきって見えたからです。そして彼女の口から出てきたのは、「寂しい……寂しい……」という言葉でした。
ご主人が亡くなった直後は、結婚している息子さんの家に同居したそうです。でも、息子夫婦は新婚で、しかも家は2LDKのアパート。最初は優しかったお嫁さんも次第に態度が冷たくなり、そうそう長くはいられなかったそうです。
次に行ったのは、娘さんのところです。夫婦共働きでふたりとも帰りが遅く、昼間はひとりぼっち。夕飯を作っても、娘さんのご主人の口には合わないようで、さらには会話もなく、肩身の狭い思いをしながら暮らしていると言います。「ケンカばかりしていましたが、今になって考えてみると主人には言いたいことが言えて本当は幸せだったんですね。あのときはそれに気づきませんでした。それに、亡くなる前には、『通帳はしっかり持ってろよ。子供には渡すなよ』と私を案ずる言葉をかけてくれたんです。いい主人だったんです。
彼女は心底、後悔している様子でしたが、もっと早くに気づいていれば……といくら涙を流しても、失った時間を取り戻すことはできません。
彼女は「我」を押し通し続けた人生を歩んでしまったため、ご主人のありがたさを心では知っていたものの、注意を素直に聞きたくないがために、相手が旅立ってから気づくこととなってしまったのです。
ご主人が亡くなった後、すぐに反省できたのは、本当は内心、優しさが妻の心にもあったのでしょう。
言い換えるなら、ご主人が生きている間に自分の愚かさに気づいてさえいれば、避けることもできた修行なのです。
ただ、悲しいかな、この相談者のような例は決して珍しくありません。私たち人間は、いろいろな結果が起きてから悔いることが多いのですが、それがまた、人間がこの世に生まれ、自分の欠点(カルマ)を直していくための修行となるのです。
そのような後悔の念にもがき苦しみ、悲嘆に暮れる人間の姿をまとめてみた詩がありますので、ここで紹介したいと思います。
「旅立ちて
初めて悔いを
知り得たり
主なき部屋は
むなしきのみや」
(『幸せの詩が聞こえる』(小社刊)より抜粋)
これは、元気なときは互いに我を張っていたご夫婦が、やがて伴侶を亡くし、寂しさや孤独感を持って拝殿を訪れる姿を詩にしたものです。
生きている間は相手の欠点ばかりが目について、何かといえば妻は夫の、あるいは夫は妻の悪口を言って過ごしてきたご夫婦も、いざ、パートナーに先立たれてみると、ポッカリと心に穴が空いてしまうのです。
何をもってしても埋められない穴を作る前に、ご夫婦の情愛をしっかりと育まれることを念じてやみません。
ご夫婦が仲睦まじく暮らす姿は、きっと子供にとっても大きな喜びがあると思います。そして、子供は親が努力や忍耐をする姿を見て学び、やがては自分が親になったときの家庭作りに役立てていくはずです。
今このときだけがよければいいといった考えではなく、先々をも見通した目で子育てに取り組むことが、子供のみならず、夫婦やお孫さんの幸せにまで及ぶことを、しっかりと心に刻んでいただきたいと思います。
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