介護問題の深刻さは、介護される側もする側も、精神的にも体力的にも、大変な苦痛を伴うものと思います。介護される本人も、若いときは「私は介護される身にだけはなりたくない!」と思い、「年老いて寝たきりになってみんなに迷惑をかけるくらいなら、いっそぽっくりとこの世を旅立ちたい!」と考えていたことでしょう。しかし、そう思いつつも、現実は思うようにならずに介護をしてもらう側になることもあるわけです。
介護を上首尾にやり遂げられたご家族に話を聞いてみますと、家族のそれぞれが自分にできることは何かと知恵を絞って話し合い、役割分担を明確にして介護に当たったそうです。
長女は平日の朝と日曜の夜、長男は土曜の昼と夜、長男のお嫁さんは平日と土曜の昼など、お互いに都合のつく時間を調整して割り振りし、都合がつかないところは介護ヘルパーさんに頼んだそうです。これなどは、まさに家族ならではの連携プレーがうまくいった好例と言えるでしょう。
協力し合って介護ができれば、それぞれに余裕が持て、介護される側にもいい影響を与えますので、相互にいい関係が育まれるでしょう。
ただし、このような介護ができる家族は幸せなケースで、まだまだ少ないのが現状です。多くの場合は、ごく身近な人の肩に重く介護問題がのしかかってしまいがちです。
そのような介護でまず問題になるのは、介護する側にストレスが溜まりやすいという点です。
介護されるほうも、もっとも身近な家族に迷惑はかけたくないと思いつつも、身体がいうことをきかないことによる苛立ちで、心にもないことをつい言ってしまうこともあります。
そういったときに、介護する娘さんやお嫁さんも、最初は「はい、はい」と聞けていたのが、だんだんストレスが溜まってくるにしたがって怒鳴ってしまい、険悪な雰囲気になっていきます。
さらにエスカレートして、介護するほうが手をあげるような事態になると、介護というよりも修羅場。そんな深刻なケースも少なくないのです。
ここで、拝殿を訪れた方の一例を挙げてみます。
訪れたのは60代後半の女性でした。その方は、
「母をいじめ殺してしまいました……。私の罪を神様は許してくれますか!?」
と、大声で泣き伏してしまいました。彼女が落ち着くのを待って話を聞いてみますと、親孝行をしなければと仕事も辞めて介護に専念したものの、母親は身体は動かないけれども意識はしっかりとしていて、口達者だったこともあり何をしても怒られ、怒鳴られていたそうです。
彼女自身も気性が荒く頑固だったために、いつしかふたりはいつもケンカをするようになり、排便の汚物が部屋中に投げつけられていたり、ついには母親を泣きながら引きずり回したりするほどエスカレートしていったそうです。
しかし、母親が亡くなって落ち着いてみると、「親孝行するつもりだったのに……私は実の母親になんてことをしてしまったんだ……。実の母親に『死んだらとり憑いてやる!』とまで言わせてしまうなんて……。母親もストレスがたまって苦しかったのかもしれない。母親に謝りたい……」と日々、苦しみから逃れられず、夜も眠れなくなってしまったそうです。
これほどまでに苦しみながら介護をし、介護をされていたと思うと、胸がいっぱいになり涙があふれたものです。
介護の場合、ひとりで頑張るのも良いのでしょうが、介護認定を受けたあとは、シートステイを利用するなど、専門分野への相談もお互いにとって良いことだと思います。
介護のことを考えるときに忘れて欲しくないことは、“介護はされたくないと思いながらも、もしかしたら介護される側になり得る” ということです。
つまり、過去、現在、未来までを含めた視点を持つことです。あなたが今、親を介護する姿を、あなたの子どもが見ています。それが、あなたの未来を作ることにもつながっていくのです。
【私にご質問いただけるメルマガはこちら】
foomii もしくは まぐまぐ で登録できます。
【発売即重版! 木村藤子の最新刊】
YouTubeチャンネルはこちら。