夫婦の愛、子どもへの愛、恋人同士の愛、不倫愛、友人への愛……人間関係においては、さまざまな愛の形があります。また、たとえ同じ男性を愛し続けるにしても、恋人から夫婦となり、さらに長い年月を経ていくなかで愛情は深化し、その形は変わってくるものです。そう考えると、人の愛の遍歴は、人生そのものであると言えるかもしれません。
人と同じ数だけ、愛の形がある。しかし形というものは、上辺によって決まるに過ぎません。
実は、愛の本質は2種類しかありません。
それが何かと言えば、ひとつは、本物の愛。そしてもうひとつが、まがい物の愛です。
主に男女間において愛に悩む人のほとんどは、まがい物の愛に囚われてしまっている場合が多いように思います。これは相手の愛が偽りである場合だけではなく、自分の相手への愛が偽りである場合も含みます。
自己愛が強い人には、相手からの愛を真実であると信じ込みやすい傾向があります。なぜなら、「こんなにすばらしい人間である私なのだから、相手も愛してくれて当然」と考えるからです。
反対に、自分に自信がない人や自己嫌悪が強い人は、自分から相手への愛は間違いなく本物だと思い込んでしまいがちです。なぜなら、相手を愛する自分がいること自体が、アイデンティティを保つうえで重要だからです。
こうして知らず知らずにまがい物の愛の中に陥ってしまうからこそ、どうしていいか分からずに思い悩んでしまうのです。
では、そもそもまがい物の愛とはなんでしょう。分かりやすく言えば、上辺だけの愛ということになります。
とある女性の相談者が、結婚相手について相談に来たときのことです。
その男性のどこがいいのかと聞くと「大手の企業に入っていて、彼の両親もお金持ちなところ」と答えました。
確かに、社会的に成功している方と結婚すると、生活に困ることもなく好きなこともできて、すべての幸せを手に入れられると思うのかもしれません。「もしかすると転勤で海外に行くかもしれない」とうれしそうに話す彼女は、きっと舞い上がってしまっているのでしょう。
しかし、神はごまかせません。
「それは上辺だけの愛で、ふたりの性格は合わないから結婚は避けたほうがいい」という回答でした。彼女は不満そうな顔で「彼はとっても私を愛してくれているんです」と言います。彼女は、本物の愛を見つけたと思い込んでいるのです。
こうしてまがい物の愛であることを理解せずに結婚してしまうと、その後にやってくるのは、冷めた夫婦関係、破局です。最初こそ夢のような生活かもしれませんが、次第にそれが日常になると、相手と自分というふたりの人間の心がどんどん明るみに出てきます。
今まで相手の表層(社会的ステータス)しか見ていなく、人間性の部分については盲目的だった分、急に嫌なところが目につくようになり、ケンカがどんどん増えていきます。自分だけではなく、相手もまがい物の愛の中にいると、当然同じように嫌悪感を持っています。
すでに子どもがいる場合、状況はさらに悪化しがちです。「子どもがいるから別れずに我慢する」という夫婦は、互いを許し合ったり、協力したりすることがほとんどなくなってしまいます。そのような夫婦の関係性が子どもにも悪影響を与えるのは、想像に難しくありません。
そしてセックスレスになり、すれ違いが増え、なんでこの人と結婚したんだろうと毎日思うようになり、浮気、不倫、子どもが自立してから高齢での離婚騒動……。このような話は特殊なものではなく、世間で多く見られる話です。
ただし、たとえ始まりはまがい物の愛であっても、それを本物の愛に変えていくことはできます。
結婚生活がうまくいかなくなったり、相手に興味が持てなくなったりしていても、もう一度原点に戻り、お互いに自分の性格の欠点を直し、思いやりと理解を持って正しく愛を育もうと努力すれば、本物の愛にたどり着くことは十分に可能です。
世間で背徳の愛といえば「不倫」であり、互いの欲求を満たすためだけのまがい物の愛と思われがちですが、実はそうとは言い切れません。始まりはどちらかの欲求のはけ口であったり、短期的な関係が前提であるような不倫愛でも、その後に互いに理解し合い、正しく愛すれば本物の愛に昇華させていくこともできます。
私のところに相談に来た女性で、18年にわたり不倫をしていた方がいました。ある日、不倫相手の男性の妻が事故で亡くなりました。その女性は、控えめながらも誠実な気持ちで男性と向き合っており、男性の子どもたちもふたりの関係を知ったうえで「父と結婚してうちに来てください」と言っています。
ところが、その女性は「家庭がある人を愛してしまった罪深い私ですから、今のままでも十分ありがたい。たまに会えるだけでとても幸せなのです。生まれ変わって、もし来世で一緒になれたらいいのです」と話し、結婚には消極的でした。
透視をしてみると、男性が外に癒やしを求めたのは本妻に欠点があるからだということがすぐに分かりました。本妻はわがままで嫉妬深く、男性を自分の意のままにしようとするワンマンタイプ。男性の親にまで嫉妬し、その悪口をご主人や子どもによく話しては、男性を自分の味方にするべく画策するといったような業の深いことも平気でしていました。
逆に不倫をしていた女性は、自らの罪を知っていたため、日陰者という立場に18年も甘んじ、出過ぎた真似をせず陰から男性を支える道を歩んできたのです。
本妻はご主人を独占したいがために、自分だけを正当化し、自分と関わった人間は身内であろうとなかろうと、誰かれ構わず恨ませ合ったり、引き離したりし、カルマの解消をできないばかりか、さらに悪いカルマを積み重ねていました。
そして、愛情さえも自ら引きちぎったのです。苦しみの心を持ち続けたまま、本妻はこの世での修業をとりあえずは終えました。しかし、やがて生まれ変わり、また同じくり返しをしてしまうのです。
相談にいらっしゃった女性のように本物の愛を得るためには、自分が相手をひとりの人間、ひとりの男性としてきちんと愛することが大切であるとともに、相手からも同じように愛されなければいけません。
まず、自分が相手を本当に愛するためには、当然のことですが外見ではなく心を見つめる必要があります。人間として尊敬できるところはどこか、自分にないものを持っているか、強さを秘めているか、人に対して優しいかなどなど、人間として成熟した心を持っているかしっかり見極めることです。自己愛が強い人は、こういったことが特に苦手ですが、それでは一生、まがい物の愛の牢獄から出られません。
相手に愛してもらうこと。これは自分の考え方を変えることよりも数倍も難しいものです。
男性が本物の愛をささげたくなる女性になるには、昔から日本女性が大切にしてきたはずであるものを再認識するのもいいかもしれません。
いつも凛としていて、我慢する心構えを持ち、縁の下の力持ちとして男性を支えていく。そして、こうした女性の芯にあるものは人間としての成熟した心、強さですから見ていて無理がないですし、こうしたことを若いときから心がけてきた方は、老後を迎えるとますますすてきな女性へと成長できます。
そんな女性に日本男性は惹かれ、憧れてきたでしょうし、こうした女性を見れば同性でも「すばらしい女性だな」と感じます。
上辺の化粧や、巻き髪、派手なネイルや流行の服など、いくら装いを整えても、男性は本物の愛をささげようとは思いません。逆にそのような表層的なことに重きを置く男性は、やはりまがい物の愛の世界の住人であり、人生のパートナーとしては少し物足りないように思います。
理解と愛情の大切さを知った心をもち、日本人としての品格を兼ね備えた女性は、生涯男性に飽きられることはありません。年齢とともに容姿は変わっていきますが、本物の愛の前でそれは些細なことでしかなく、愛し続けることでどんどん愛情が深化し、歳を重ねるごとにすばらしい体験が増えていきます。
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