青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

ケンカとマンネリ

 いくら本物の愛で結ばれていても、毎日何事もなくすべてに満足し合えている夫婦はほんのひと握り。人間ですから、機嫌が悪いときや疲れているときなどはどうしても心に余裕がなくなってしまい、パートナーに感情をぶつけてしまうこともあるでしょう。

 

 相手の言うことや行動にどうしても納得できないとき、ついついケンカになってしまうこともあるのではないでしょうか。

 

 愛とケンカ、なんだか相反するイメージがあるかもしれませんが、実は“きちんとしたケンカをする”ことも、互いの愛を深めるためには時として大切なことです。

 

 ケンカの不幸な例として、いわゆるDVがあると思います。もちろんこれは最低の行為であり、あってはならないのですが、男性にばかり非があるとも言い切れません。

 

 相談者で、こんな方がいました。50代の女性で、バツイチ。相談事は、「これから結婚したいし子どもも産みたいのだけれど、できるか」でした。

 

 神の答えは、「まずは性格を直さないと、たとえいい相手がいても結婚する前にだめになってしまう。生理も終わるし子どもは授からない」。

 

 彼女の性格面を見たところ、炊事洗濯をせず、寝室はグチャグチャで、だらしのないこと極まりない性格であることが分かりました。

 

 つき合いたての頃は、男性はそれでも許してくれていたのかもしれませんが、次第に耐えられなくなり指摘すると、女性は屁理屈を言い、自分の正当性をどうにか主張しようとします。攻撃的で、強い言葉を使い相手を屈服させようとするタイプの方でした。

 

 その女性は、自分にとって不都合な部分については、私が伝える神の言葉を信じようとはしませんでした。欠点を指摘すると「そんなことを聞きたいんじゃない。私は容姿もいいし大学も出ているのだから結婚できないはずがない。結婚する相手について聞きたいのであって、性格云々を聞きたいのではない。私の質問に答えてない」と私を非難してきました。

 

 その後、何を言っても話を聞こうとせず、私の伝える話を信用しません。相手は自分で思っている答えしか求めていませんから、そこから外れる回答はそもそも受け入れる態勢がないのです。

 

 彼女は20代で結婚、離婚を経験しています。原因は元夫のDVですが、別れ際に「いくら若かったとはいえ、お前のような人間と結婚しようと思った自分がいかに幼稚だったか分かった」とまで言われたと言います。しかし、それでも彼女は自分の愚かさは認めず、逆に自分のよさを分からない相手が愚かだ、と思ってしまっていたわけです。

 

 確かにDVは恥ずべき行為ですが、家事をせずひどい日常を送っている妻に対し、欠点を指摘すると今度は徹底的に“口撃”されるわけですから、男性だって腹も立つでしょう。

 

 この女性は自分の都合ばかり考え、反省せず、攻撃的で、本物の愛を得るための行いとは対極的な行動をしているのです。

 

 夫婦関係に限らず、みなさんが誰かとケンカしてしまったら、その最中の言動を振り返ってみてください。また、本当に自分に非がないのか、日常の在り方も含めて考えてみてください。人間関係の問題において、どちらか一方だけに100%非があるということはないのです。

 

 相手がいなければケンカにはなりません。それに、よかれと思ってやったことでも、相手はよく思っていないということもあるのです。

 

 先ほどの女性の相談者のように、自分のことは棚に上げ、相手を傷つけようという攻撃的な気持ちが強くあったり、なんとか言い負かしてやろう、自分の正当性を絶対に認めさせよう、という思いがあったりしたなら、それは不毛なケンカです。屈服や服従を望んでいるだけで、たとえ相手を負かしたところで互いを嫌いになるばかりで愛を育むことはできません。

 

 普段は普通に生活している夫婦でも、どうしても意見の食い違いというものは出てくるものです。そこでケンカになってしまったとしても、未来に役立つケンカをすることができるかが大切です。

 

“未来に役立つケンカをする”ということは、根底に誠実な愛情があり、そのうえで自分と異なる相手の考えを理解したい気持ちを持つということで、

 

 “実りのあるケンカ”

 

 と私は言っています。

 

 ケンカが終わって相手が言っていたことを素直に受け止めて考えたとき、相手への理解が深まり、互いが成長し、愛情もより深まっている。そのようなケンカができれば、本物の愛に一歩近づくことができるのです。

 

 別れるわけでもなく、ただ“勝つため”のケンカをしてお互いに罵倒し合ったところで、未来において信頼を失ってしまうだけで、残るものは何ひとつないのです。

 

 もうひとつ、一緒に生活していて、愛しているはずなのに誰にでも訪れがちなものがあります。

 

 いわゆるマンネリです。

 

 大恋愛の末に結婚したはずなのに、10年経ったら毎日が同じように過ぎていき、刺激もない……夢中で子育てをしていたら、いつしか夫に女性として見られなくなった……。マンネリの原因は家庭によりさまざまでしょうが、マンネリをこじらせると、愛は消え「無関心」の状態に陥ってしまうこともありますから、男性も女性もマンネリにならないように意識しなければいけません。

 

 女性としてもっとも危険なのは、羞恥心を失うことです。

 

 家の中だからといって裸で夫の前を歩き回ったり、はしたない行動をとったり、ごろごろ怠けてばかりいたりすると、いくら夫婦であっても男性の心は冷めていきます。もし本物の愛を抱いて結婚していても、男性の愛が偽りのものへと代わってしまえば、破綻してしまう可能性が高くなってしまいます。

 

 男性の場合も同じです。妻が家のことをなんでもやってくれるからと、その快適さにあぐらをかいていては、マンネリを助長してしまうだけです。ねぎらいの言葉をかけてあげたり、時には手伝ってあげることが必要でしょう。

 

 長く夫婦をやっていると、一緒にいることに慣れてしまい、相手のこともすべて理解しているような気になってくるものですが、ある程度の緊張感を持ち、ひとつ屋根の下で共同生活をしていくうえでのけじめをつけなければいけないと思います。

 

 わがままを通すだけのケンカをしたり、マンネリを感じたりしたら、まずは相手ではなく自分に問題がないか、心に問いかけてみてください。愛する人というのは、実は自分の心を写す鏡のようなものです。自らがイライラしていればケンカになり、自らが退屈だと思えば相手もまたそう感じ、嫌だと思えば相手にも嫌がられています。逆に、笑顔でいれば相手も笑い、悲しいときには一緒に悲しみ、自分のそばにいて共感してくれる大切な存在でもあるはずです。

 

 また、きちんとしたケンカをしてくれることができた相手というのは、年齢を重ねていくごとに慈しみの心が増していき、自然と相手のことを思いやることができるようになってきますし、そのような方々をこの目でたくさん見てきました。

 

 神々は、私たちひとりひとりが自らの欠点や愚かさに気づき、悪いカルマを解消し、魂が成長することを願っています。だからみなさんの「心の鏡」である愛する人との関係に変化が生じたならば、それは自分を見つめなおすよき機会だと考え、もう一度自分の行動や心を見直すことが大切です。

 

 人間である以上、間違いや失敗は必ずあります。大切なのは、その過ちに気づき、素直に直していくこと。これこそが、夫、子ども、親戚、友人などとのあらゆる愛の絆を保つために必要な姿勢です。親しい相手であるほど、素直に過ちを認められない場合もあるわけですが、まず自らの過ちに気づくことがカルマの克服、解消への第一歩となり、そのための判断力、相手への理解力というものを絶えず意識していかなければいけません。

 

 そして、反省し、感謝し、許すこと。打算のない素直な心で愛と向き合うこうした姿勢が、すべての愛を育み、結果的に愛情に満ち溢れた幸せな人生を送るための鍵となるのです。

 

 また、愛する人と接するうえで必要なのが、互いの気持ちを正直に伝え合うコミュニケーションです。

 

 いくら長年連れ添っても、やはり言葉にしないと分からないことがあります。

 

 話し合うときに意識するべきことは、自分のことを棚に上げて相手のことばかり言うのではなく、相手の言葉に誠実に耳を傾けることです。たとえそれが自分の意見と著しく異なっていても、最後まで聞き、分からないときは教えてもらう姿勢が大切です。

 

 現世での縁を結び、愛し愛される関係となった相手は、現在、過去、未来に存在するあらゆる人間の縁ゆえ、人生が接触し合い、巡り合った人なのです。

 

 

 

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