青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

表面的な幸せと本当の幸せの違い

 毎日、相談を受けていますと、「幸せになりたい」と悩んでおられる方々の姿を多く目の当たりにします。幸せになりたいというのは人間に生まれた以上、当然の気持ちです。しかし、「幸せって何?」と深く考えてみる方は少ないのではないでしょうか。

 

「幸せ」といっても、その形は人の数だけあるように思います。裕福になりたい、夫婦円満でいたい、すばらしい人間関係を築きたい、今抱えている問題が解決できたら幸せになるはずだ……etc。

 

 しかし、幸せにも表面的な幸せと、本当の幸せがあるように思うのです。ここでは、その違いについて考えてみたいと思います。

 

 まず、表面的な幸せについて考えてみましょう。

 

 “隣の芝生は青い” という言葉があります。これは、他人と比べて表面的な幸せを無意識に望んでしまう人間の虚しさを物語っている言葉だと思います。

 

 人というのは、努力している姿や悪いことをしている姿を他人にはほとんど見せません。たとえば、職場でものすごく仕事ができる同僚がいたとします。そうすると、「自分もああなりたい!」と思う人は多いと思います。さらに、そのようにすごい部分を見ると、なぜかその人が完璧な人と思えてしまうこともあります。

 

 ほかにも、お金持ちの人を見れば「あの人はお金もあって、家族もいて、バラ色の人生を過ごしているんだろうな」とか、“隣の芝生” を見始めたらきりがありません。隣の芝生が青く見えてしまう “根本的な原因” はなんなのでしょう。

 

 私は、上辺でしか物事を見ることができない未熟な判断力と、想像力の欠如に原因があるのではないかと思っています。

 

 人間は自分の生活に関しては細かいところまで見ています。自分ですから当然です。頑張るときもあれば、ダラダラするときもある。気持ちが明るいときもあれば、暗いときもある。人に優しくできることもあれば、気分によっては優しくできないこともある。

 

 そのように、自分自身のことはいい部分も悪い部分も逐一見ているわけですから、時には自信を失い、「自分なんて……」と意気消沈してしまう心の動きも把握することができます。

 

 意識しているかしていないかは別として、“自分” というのはすべての言動、頭の中にある考えを一瞬一瞬感じながら生きていますから、いわば現実のものとして考えることができます。かたや、“他人” の胸の内、見ていないときの言動というのは見えないので知ることができませんから、他人というのは自分の中で作り上げたある種の想像でもあるわけです。ですから、他人から見ればどんなに幸せそうに見えても、当の本人はものすごく悩んでいるという場合もあるわけです。

 

 つまり、表面的な幸せというのは、ありもしない他人の幸せを勝手に自分で作り上げる心、ありもしないものを欲しがる心、つまり答えのでない、いたずらに自分を苦しめてしまうものなのです。こうした正しい知識、正しい判断力があれば、このような問題に悩むこともなくなるわけです。

 

 では次に、本当の幸せについて考えてみましょう。

 

 本当の幸せとは、世俗に触れても動揺しない心を持つことなのではないかと思います。

 

 先ほどの “隣の芝生は青く見える” というのは、要するに世俗的なものを欲している状態です。「あれもこれも手に入れたい!」という欲には限りがないために、何かを手に入れればまた何か違うものを欲し、それを手に入れればまた違うものを欲する。これでは、いつまでたっても満足することはなく、いつまでも我欲のために心が揺れている状態です。

 

 では、どういう状態が “心が安定している” 状態なのでしょうか。

 

 世俗、世俗と言いましたが、私たちは社会というシステムの中で生きていく以上、少なからず誰しもが世俗に触れながら生きていかなければいけないわけです。どんなにお金に対する欲がなくとも、お金がなければ衣食住を整えることはできません。ですから、世俗的な欲からすべて距離をとらなければいけないというわけではありません。

 

 私がお伝えしたいのは、本当の幸せというのは “何かを手に入れることによって得られるもの” ではないということです。

 

 何かを手に入れることで得られる幸せというのは、欲を満たすことで感じる “満足感” であって幸せとは違うものです。心が安定した状態というのは、このことが理解できている状態で、人とのおつき合いで得られる安心感や癒し、そういった精神的な人と人との交流こそが、真の幸せなんだと心から実感できている状態なのではないでしょうか。

 

 しっかりとした判断力と知識を持ち、相手の喜びをまるで自分のことのように喜べる心の状態というのは、非常に穏やかで幸福感で満たされています。

 

 たとえば、私くらいの年齢になりますと、孫の話題で盛り上がることが多くなります。孫は目に入れても痛くないと言われるくらいですから、話している相手の表情はとっても幸福感に満ち溢れています。聞いているこちらも、まるで自分のことのようにうれしくなり、ワクワクして一緒になって一喜一憂してしまうものですから、ついつい余計なおせっかいが口から飛び出しそうになり、慌てて自分の心に蓋をし、そんな自分にもハラハラドキドキしてしまいますが、そのようなとても素敵な時間を過ごさせていただいていることについて、相手には本当に感謝しています。

 

 これはひとつの例えですが、たくさん本を読み、さまざまな人の生き方を知り、自分で実践して失敗と成功をくり返し、その少しずつの積み重ねが、世俗的な表面上の幸せというものから解放してくれるでしょう。

 

 コツコツ毎日を大切に、そして丁寧に暮らしていけばこそ、平和で安定した生活を手にすることができるのです。そうした精神状態を手に入れることができれば、ちょっとやそっとの不幸くらい跳ね飛ばすこともできる、真に強い人間になることができるのです。

 

 地元の青森のみならず、日本全国の方々の人生の辛苦を神との交流を通じて知り、さまざまな生き方、考え方に触れ続けることができ、知らず知らずのうちに知識を得ることができました。

 

 私がもしもこの仕事をしていなかったら、知識不足ゆえに了見の狭い考え方に固執してしまっていたかもしれません。

 

 

 

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