青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

自分が見ている世界は客観的ではない

 みなさんは、この世界を “あるがまま” に見ていますか? 自信を持って「見ています」と言える方はどれだけいらっしゃるでしょうか。

 

 何を突拍子もないことを、と思われた方もいるかと思いますが、実際に私たちはこの世界をあるがままに見ることができていないのです。自分と世界(目で知覚しているものすべて)との間に境界線を作り、ある種の “思い込み(錯覚)”の中で生きているのです。

 

 この思い込みについて説明します。

 

 自分とまったく同じ経験をし、まったく同じ性格をしている人間はこの世にひとりとしていません。生まれ持った性格を基礎として、人はそれぞれの経験や生後に形成されていく性格から、自分の中に物事を判断するフィルターを作っていき、目を開いてこの世界を見ているときは、必ずその “独自のフィルター” を通して世界を認識しています。

 

 つまり、人それぞれ見ている世界が違うのですが、自分では自分が見ている世界が客観的で、真実だと思い込んでいるのです。時代によっても世界の認識の仕方というものは変わってくるのです。

 

 たとえば、“天動説” を考えてみましょう。天動説とは、地球が宇宙の真ん中にあり、そのほかの星が地球の周りを周っているという考えですね。

 

 現代に生きる私たちは天動説が間違いであると知っていますが、これが信じられていた時代に生きる人たちにとっては、天動説こそが真実だったのです。

 

 天動説の例はすべての人が客観的に考えることができますが、では次に、個人個人の例を出してみます。

 

「男たるもの泣いてはいけない」という思い込みを持っている男性がいたとしましょう。

 

 これは、前世から背負ってきた基礎にある性格の問題というよりも、小さいときに転んだときとか、予防注射をするときとか、事あるごとに親や周りから「男なんだから泣くんじゃない」と言われてきた結果、「男たるもの泣いてはいけない」という固定概念が作り上げられ、それがいつしか「自分だけの考え」になってしまってそこから抜け出せなくなってしまうのです。

 

 しかし、たとえば彼女ができたとき、涙を流さずにはいられないほどつらい出来事に出会ったとき、それでも頑なに涙を見せないでいると、「感情はあるの?」「何を考えているか分からない!」と思われてしまうこともあります。

 

 このように、同じ世界に生きているはずなのに、そのとき(時代)の状況や人によって、その感じ方、見え方が違います。なぜかというと、“心” が自分なりの主観的な世界を作っているからなのです。

 

 心が自分の世界を作り出しているということは、自分が見ている世界というのは客観的ではなく、とても主観的な世界だということになります。主観的な世界だということは、自分独自のルールが存在しているということです。つまり、この自分の中のルールを変えると、見ている世界はまた違う世界になります。

 

 気づきの話に当てはめてみます。たとえば嫁姑問題。

 

 生まれも育ちも何もかも違うふたりですし、ましてや嫁ぐ先の家は姑がずっと守ってきているのですから、姑独自のルール、家のルールがあります。逆にお嫁さんはお嫁さんで、それまで育ってきた自分の家のルール、そして、今度は夫とふたりで新たな家を作っていくんだという意気込みがあります。

 

 嫁と姑が見ている世界には必ず根本的な “ズレ” があります。お互いに悪気はないのです。しかし、感情が入ってしまうことによって、「なんであの嫁は私がやってきたようにしないんだ!」「まったくうるさい姑だわ。この家は私と夫で作っていくものなのに。私には私のやり方がある!」と、嫁姑問題が勃発します。

 

 お互いに自分のルールがあり、それに従って生きているために、同じ世界に生きているようでもそれぞれが見たり感じたりする世界はまったく違うのです。そのズレがあるから問題が起きるのです。このズレを解消するには、お互いの歩み寄りによって妥協点を見つけることです。

 

 妥協点を見つけることができれば問題は解消されますし、「あれ、意外と大丈夫じゃない。なんだ、こんなことに私はこだわっていたのか」というように、いわばこれまで自分が勝手に “思い込んでいた” ルールから自由になりますから、世界が変わるわけです。これが私の言う気づきです。

 

 いつもお伝えしている性格の欠点についても同じことです。わがまま、自己中心性、二面性、高いプライド、どれも自分の過去の経験による思い込みなのです。その自分ルールから自由になることができず、それが原因となって人間関係における摩擦を起こしてしまうのです。

 

 しかし、先ほどの嫁姑の問題と同じように、自分のルールというのはあくまで主観的なものでしかないため、もし人に何か注意をされたとしたら、必ず何かしらの問題があるということなのです。カルマを解消するには、至らない自分を変える勇気が必要なのですが、何度か自分を変える体験ができ、それによってこれまでの人生とは違った新しい、自由な自分を手に入れることができれば、それが貴重な実体験となり、どんどん人の注意や指摘を受け入れ、自分自身を反省し、そのことによって魂を磨いていくことができるようになるのです。

 

 そのためにも、やはり知識を得るべきなのです。今ここで私がお話ししていることも知識になるでしょう。心が世界を作っているということが理解できれば、自分が見ていることは主観的でしかなく、もっとまわりの意見を取り入れることで世界を変えることができることが分かりますので、どんどん自分自身を変える(つまり生きている人生を変える)ことによって幸せの道を歩くことができます。

 

 固執する自分から自由になることで、主体的に未来を作っていくことができます。ただし、はじめからうまくいくとは限りませんから、思い通りにならないからといって落ち込みすぎる必要はありません。なかなか自分の思い通りにならないのがこの世界です。

 

 ただ、そこで反省することができるか、直す努力をすることができるかです。よりよい人生を歩んでいくために、希望を捨てず、努力を惜しまずに生きていきたいものです。

 

 

 

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