青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

上辺の個性

 個性個性と言われますが、個性っていったいなんのことなのでしょうか。そんなに必要なことなのでしょうか。それとも、固執する必要のないものなのでしょうか。あまりにも個性を求められるために、疲弊してしまう方もいると聞きます。ここでは個性について考えていきたいと思うのですが、“個性とは何か” の前に “本当の” とついてることが重要な点です。

 

 個性という言葉を改めて辞書で調べてみますと、『個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー』などと書いてあります。“そのもの特有の性質” ですから、そもそも個性に本当も上辺もなく、個性がない、個性があるといったこともないはずです。

 

 しかし、世の中を見渡してみますと、上辺の個性で溢れています。その上辺と区別するために “本当の” とつけて、個性とは何かをお話ししていきたいと思います。

 

 “個性が大切” という言葉は今では当たり前のように思いますが、ひと昔前までは、日本では “個性” よりも集団の中での “調和” “和合” “統一” “同調” といったような、周りに合わせることのほうが重要視され、しばしば個性は不必要なものとされてきました。

 

 時代は変わり、昨今は日本でも個性が大切にされるようになってきたのですが、逆に自分には個性がない、と悩んでおられる方もたくさんいます。私のところにも「自分は何をやっても人並みで、特に趣味もなく、洋服も地味だし、つまらない人間と思われてしまう。もっと自分らしさ、個性を見つけたい」と相談に来られるのです。

 

 今の世の中は “個性的でなければならない” という考え方が、まるで脅迫観念のように強くなり過ぎているように見受けられます。それは言い換えれば、人と同じではいけない、人と違う=自分らしい=個性的で素敵、と多くの人が思っているからなのかもしれません。

 

 個性的か否かというのは、周りの人と違っていて、奇抜で不可思議でつかみ所がなくて……ということではありません。人はひとりひとり違うのですから、生まれながらにそれぞれ個性を持っているのです。ただ存在しているだけで、すばらしい個性があるのです。

 

 個性というと真っ先に思い浮かぶのはファッションかもしれません。個性的なファッション、自分らしさを演出する着こなしなどを心がけている方も多いのではないでしょうか。ファッションというのは言うまでもありませんが、見た目の要素が非常に強いものです。見た目というのはとても大きな印象を人に与えますから、個性というものをファッションと結びつけてしまうのも仕方のないことなのかもしれません。

 

 もちろん、お洒落をすることは悪いことではありません。生地の色味やデザインを楽しむのだって、生きていくうえでの楽しみとなります。お洒落ひとつで、心が晴れやかになることだってありますし、時には高価なブランド品だって、自分がこれまで頑張ってきたことへのご褒美として身につけてみるのも楽しいことでしょう。

 

 しかし、「この人は爽やかな色が好きだからきっといい人なんだろう」とか、「高価なものをたくさん身につけているからお金持ちで見栄っ張りなんだろう」とか、「いつも地味な服ばかり着ているから性格も暗いのかな」とか、どうしても思ってしまう傾向があるのではないでしょうか。

 

 たしかに、そういった部分もあるはずです。内面は表に出ますから、ファッションというものが少なからず個性を表現するものであることは間違いないでしょう。しかし、それは上辺の個性に過ぎません。

 

 ファッションが人に大きな印象を与えることができるということは、上辺の自分らしさを簡単にコントロールできる、ということでもあります。しかしそれは、個性というより自分は他人からこう思われたいという “願望” や “虚栄心” になってしまい、本当の個性を隠して上辺で着飾ってしまうことになるのです。

 

 また、個性は素晴らしいもの、という風潮が強くなった今、個性を隠れ蓑に言い訳をしたり、怠けたり、物事と真剣に向き合わない人が増えてしまったように思います。どういうことかというと、寝坊して遅刻すれば「俺、朝苦手なタイプなんだよなぁ」と言い、仕事で失敗すれば「私に合ってる仕事じゃない。私らしくない」と言い、自分の甘さを全部個性のせいにしてしまう場合もあります。

 

 絶えず自分を客観的に見つめて物事と真剣に向き合わなければ、自分を磨いていくことはできません。自分を磨いていく中で自然と滲み出てくるものこそ本当の個性です。自分の怠けや甘えを正当化するためにあつらえたものは上辺の個性です。本当の個性というものは、自分の弱さを正当化するためのものではないのです。

 

 子育てにおいても、親の知識不足による間違った個性が大切にされてしまっているようです。知らず知らずのうちに、よかれと思ってしていたことが、実は上辺の個性の罠だということに気がつかなければいけません。

 

 個性を尊重するという名目で、子どものわがままから目を背けてはいないでしょうか? 子どもというのは知識や経験が少ないため、その分、自分の欲望に対して正直なのでどうしてもわがままになってしまいがちです。言い換えれば、失敗をくり返しながら、やっていいことと悪いことを子ども自身が探っている時期とも言えます。

 

 親は根気強く子どもを教え育てなければいけません。頭ごなしに「ダメでしょ!」「何やってるの!」と叱るのではなく、ポイントを押さえて、しっかりと会話によって教え育てなければいけないので、根気と忍耐力が必要なのです。

 

 ついカッとなってしまってガミガミ叱るという方法をとっていると、親の顔色を伺って表面的にはいい子にしているかもしれませんが、子どもはストレスをためて、親の目の届かないところで悪さをしたり、誰かをいじめるようになってしまうケースも多くあります。

 

 さらに、子どもが何をやっても「いいよ。それがあなたの個性だから」と、個性を言い訳に我が子を教え育てるということを疎かにしていると、中学、高校になったときに、親の注意を何も聞かない、わがままで親を親とも思わない人間になってしまいます。

 

 親より自分のほうが偉いと思っている子どもや、親が自分のために何かするのは当然と思っている子どもが増えているということと、盲目的に個性は大切と思ってしまう風潮というのは、無関係ではないように感じています。

 

 親が子どもの個性を大切にし、個性が伸びるように育てたい、と思うことは大切なことでしょう。しかし、本当の個性というのは心を磨いていく中で自然と滲み出てくるものですし、本当は初めから誰しもが持っているものです。親が子どもの “心” と向き合わなければ本当の個性は育たず、上辺の個性だけにとらわれてしまいかねません。

 

 子どもの個性を伸ばすためにインターナショナルスクールに通わせたい、音楽や踊りを習わせたい、とにかく勉強をしっかりやらせたい、と親御さんは思うかもしれません。ただ、それが本当にお子さんの個性を伸ばすことになるのでしょうか? しっかりと、子どもの個性を見抜いてのことなのでしょうか? 個性という一般概念やイメージに親がとらわれているだけであれば、単なる親のエゴとなってしまいます。

 

 上辺だけの個性というのは便利なものです。最近では共働きの夫婦も多いですから、仕事が忙しく、子育てにかける時間や心の余裕をなくしてしまいがちです。しかし、だからといって「好きにやらせたほうが子どもの個性が伸びる」などと、子どもが持つ個性と親が持つ身勝手な考え方との区別ができていない子育てをしていては、“心” をないがしろにした大人になってしまうかもしれません。

 

 子どもといえどもひとりの人間です。人としてちゃんと向き合わなければ子どもの心はどんどん貧相になっていってしまいます。その結果、他人への思いやりよりも、自分だけよければそれでいいといったような、対人関係で問題を起こしてしまう性格を築き上げてしまいかねません。

 

 “心” は人間の基盤です。親が子を育てるというのはその子どもの心を育むということなのです。子どもの本当の個性というものは、そうして心を育んでいく中で自然とできあがっていくものなのです。

 

 次に、これは年配の方に多いのですが、我が強いことと個性を履き違えている人もたくさんいるように思います。年齢を重ねると身体だけでなく心も硬くなってしまいます。心が硬くなる、それは我が強くなり素直さがなくなると言い換えることができるかと思います。

 

 たとえば、伴侶に感謝の気持ちはあるのに「ありがとう」と言えないとか、職場の部下に間違いを指摘されてミスをせずに済んだのに「ありがとう」と言えないなど、我の強さが邪魔をして素直になれないのです。

 

 我の強さの正体は、自負や見栄、プライド、こだわりといったものです。自分でもそれらが邪魔をして素直になれないことに薄々気がついているのですが、「これが私の個性だ!」と開き直ってしまうのです。

 

 素直さというのは周りに笑顔を生み出す魔法のようなものです。素直に「ありがとう」と言っていれば、伴侶も部下も、自分自身も笑顔になって、家庭も職場も明るいムードになれるチャンスだったのに、我の強さのせいで台無しにしてしまうのです。それを「個性だから仕方ない」と言ったところで、それは上辺の個性ですから、人と摩擦を生んでしまうだけになってしまうのです。

 

 今の世の中に溢れている上辺の個性に気づくということは、逆説的に本当の個性を知ることでもあります。間違ったものを知れば知るほど、余計なものがどんどん削ぎ落とされていき、本質というものが見えてくるのです。

 

 人はひとりひとり生まれながらにして違います。そして、心を磨いていく過程で経験すること、考えること、それが真の個性となるのです。

 

 個性というものは、決して他人にひけらかしたり、振りかざしたりするようなものではありません。本当の個性=品格と言ってもいいでしょう。上辺だけの都合のいい個性ではなく、本当の個性が滲み出るよう、自分を客観的に見つめ、人や社会と向き合い、心を磨き、豊かな情緒を育ててください。悪いカルマに気づき、解消していく日々の中でこそ、それが可能だということを考えていただきたいと思います。

 

 

 

 

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