青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

不幸とは幸せに気づけないこと

 「あなたは自分の思い通りに人生を生きていますか?」

 

 そう尋ねられたら、みなさんはどう答えるでしょうか。

 

 おそらく、多くの人は「思い通りには生きていない」と答えるのではないでしょうか。その理由は、「やりたいことをやってこなかった」とか、逆に「やりたくないことをやっている」というものだと思います。

 

 では、もしあなたが人生を思い通りに生きられることができたとしたら、幸福と感じるでしょうか?

 

 人間というのは勝手なもので、何かひとつの願望が叶ったとたん、それまで盛り上がっていた気持ちは下降線をたどり始めます。願望が叶った瞬間が最高潮で、あとは日に日に冷静になっていき不足を探すようになり、また違う願望を持つのです。

 

 たとえば独身のとき、早く結婚して子どもを産んで専業主婦になって、幸せな家庭を築きたい、と願っていたとします。「この願いが叶えば私は幸せになれる」と。

 

 しかし、いざその願い通りになって日常になると、今度は「夫が家事を手伝ってくれない」「子育てが大変」「仕事に出たい」などなど、目の前の自分が願った幸福を見ずに、不満ばかりに目を向け初めてしまうのです。

 

 これでは、いくら願いを叶えてもキリがありません。何かを手にすれば、また次の何かを求めてしまう。この循環を続けている限り、持続する幸福を感じるのは難しいのでしょう。

 

 幸福というものには、決まった形はありません。不幸もそうです。「この状況だったらあなたは幸福です」、あるいは「不幸です」という定義はなく、目の前の出来事や今、自分が置かれている状況を、“どのように感じるか?” というのが、幸福と不幸を分けているのです。「自分がどう感じるか?」によって物事は幸福にも不幸にもなるわけですから、言い換えれば幸不幸も自分のさじ加減ひとつだということがわかります。

 

「不幸に対処するのには前向きな思考を持つとよい」と語られることがよくありますが、それはこうした事実からなのです。多くの人は不幸と考える事柄でも、前向きに対処することによってその試練すらも将来の幸福のために苦労、人生の糧、と考えることができるのです。

 

 また、そもそも不幸というのは自分が作り上げている幻想ですから、くよくよ考えても不幸を助長させるだけで何も生み出さないわけです。なぜなら、こういうときに何を考えているかというと、まるで映画のようなことを考えてしまっているからです。

 

 どういうことかというと、「自分が不幸だと思っているこの状況を一瞬で打破する、しかも楽な方法はないか?」と考えてしまっているのです。映画だったら脚本は自由なのでどんなウルトラCでも出すことができますが、私たちが生きる現実の世界は因果の法則で動いていますから、結果を見て不幸だと思うのならば、そこまでの “過程”、そして “原因” を考えない限り、解決方法は見えてきません。

 

 しかも、「そんな魔法のような方法はない」と本当は自分ではわかっているのに、次から次へと「魔法はないかな?」という間違った考えばかりが浮かんできては、「いやいやそんな魔法はない」と自分で否定する。浮かんできては、また自分で否定する。自分であり得ないとわかっていても魔法を探してしまい、「そんなわけないよね」と自分で否定するということを考えていると、「なんでこんな無駄なことばかり私は考えてしまうんだ……」と、また違う不幸が生まれてきてしまうのです。不幸の連鎖とは、ネガティブ思考の連鎖とも言えるのです。

 

 このように、“不幸は自分の思考が作り出しているもの” なのですから、考え始めたらキリがありません。

 

「不幸を自分で作り出しているなんて、そんなわけがない。なりたくて不幸になっているわけではない」と思うかもしれませんが、少し考えていただきたいのです。

 

「Aであれば幸福である」「Bであれば不幸である」という形がない以上、幸不幸を判断するのは自分しかいないのです。誰かに「不幸だね」と言われたとしても、自分でそう思っていなければ不幸ではありません。逆に回りから「幸せそうですね」と言われても、自分がそうと思っていなければ幸福ではありません。

 

 また、「こうなれたら幸せになれるはず」とか、「こうなったら不幸だろうな」と普段から考えていると思うのですが、そうしたことを考えているのは強すぎる “自我” であることが多いので、間違った幸福、間違った不幸を考えている場合があるのです。これが、思っていた幸福を実現したのに不幸を探してしまうようになる原因です。

 

 幸福と不幸の解釈を間違えている限り、真の幸福の素晴らしさにも、真の不幸の恐ろしさにも気づくことができません。真の幸福に気づくことで、正しい努力をすることができます。真の不幸に気づくことで、そうならないための正しい対処ができます。

 

 真の幸、不幸に気づくことで正しい言動ができるようになるのですが、これは自分のカルマをコントロールする(よい結果を生む行動ができるようになる)ということにつながるので、“人生を幸福に生きる方法” ともいえるのではないかと思います。

 

 私たち人間は蜘蛛の巣の糸と糸が交わる交差点のようなものです。

 

 交差点というのは “ひとつ” では存在することができません。隣の交差点(相手)があるから糸はつながっていて、相手がいるから私もいて、私がいるから相手もいるのです。

 

 自分に3本の糸がつながっているとしましょう。そのうちの1本が切れてしまっても、あと2本ありますから大丈夫です。しかし、あと1本切れてしまえば宙ぶらりんの状態になってしまいます。その最後の1本が、自分の重み(自我)で切れてしまったらどうなってしまうでしょうか。

 

 そう、つながりがなくなってしまえば交差点として存在することができないのです。

 

 それくらい人間関係というのは私たちの実在に大きく関わるものです。私たちはひとりでは何もできず、人と一緒でなければ存在することもできないのです。このつながりをなくしてしまうことこそ、真の不幸といえるのです。

 

 周りと比べて相対的に自分が劣っているから不幸、と感じる不幸は、自分が作り出している不幸です。相対的に比べなければ不満も出ないのに、自ら勝手に周りと比べ、自分の不足を自分で「不幸」だと認定しているだけなのです。

 

 みなさんはいかがでしょうか? すでにたくさんのつながりをそれぞれの方が持っているはずです。つまり、今の自分は絶対に不幸ではないし、つながりがあるということは、すでに幸福は手の中にあるのです。

 

 この事実にされ気づけば、あとは自分がつながりがある人とよい関係を築いていくだけです。旅行をしたり、自宅に招いておしゃべりをしたり、泣き合ったり、笑い合ったり。そうした人と人が時間を共有するという幸福を、思う存分味わえばよいのです。

 

 願望を実現するというのは快楽を伴いますから「幸福だな」と感じます。しかし、それは達成感と似た感覚であって、人間が本当に求めている「幸福」とは似て非なるものです。

 

 もちろん、何かを達成するというのは素晴らしい経験です。しかし、それによって得られるものは真の幸福とは似て非なるものなんだと、分けて考える必要があるのです。そうすれば、次から次へと幸福を求め続ける幸福難民になることはありません。

 

 すでに幸福は自分の心の中にも存在しているということを考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

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