青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

人生は綱渡りではない

 因果の法則と言われると難しく考えてしまうかもしれませんが、なんのことはない、「なるべくしてなる」ということで、法則なのでそこに一切の人間的感情は挟まれないのです。

 

 三角形の面積を求めるとき、「(底辺)×(高さ)÷2」という公式がありますが、いくら「この公式は嫌い」と言ったところで、この公式で三角形の面積が求められる事実は変わらないのです。

 

 もちろん、私たちの人生は数学の公式のように単純明快に表現できるものではありません。皆が皆、因果の法則に従って正しい行いをすればこの世界の問題は万事解決ですが、そのようなことは人間の時間軸の中では起こりません。

 

 因果の法則は、そういう法則がただあるだけであって、法則を意識して生きるかどうかというのは個人の判断に完全に委ねられます。

 

 どんなに因果の法則を自分では意識していても、人間関係の中では法則に従っていない人とも当然のように出会い関係性を築いていきますし、当然のように自分も判断を誤る場合がいくらでもあるわけです。

 

 そのように、自分も含めたさまざまな人間が持つ、いくつもの原因が複雑に影響をし合いながら事実を生み出し、地層のように淡々と事実だけを積み重ねていくので、自分ではまったく予想だにしていなかった現実が起こることがあるのは当然のことなのです。

 

 しかし、だからといって「気をつけても悪い結果が起きてしまうのなら、意味がないじゃないか」と考え、好き放題に生きるのは、自分で綱渡りの人生にしてしまうようなものです。

 

 因果の法則はおもしろいもので、同じような考えを持った人をどんどん集めるという効果もあります。無策に生きていれば、無策に生きている人と一緒にいるようになるのが人間というもの。人は人を呼びますから、必然的に同じ考えを持つ人たちがどんどん集まってくるわけです。

 

 人間関係は人生で最も大切なものですが、正しい人とつき合っていかなければ負の連鎖が起こり、止められなくなるのです。

 

 私たちは完璧ではないからこそ、改善を試み続けます。そうすることで、道なき道が、太い一本の道になっていくのです。

 

 そのように安全な道を作っていく方法があるのに、その方法を知らないために、もしくは受け入れられないためにそうしないのは、とてももったいないことです。手っとり早いからとロープをかけて渡ろうとするといったようなことを続けていれば、いつか取り返しのつかないことになってしまいます。

 

 ひとつお話をご紹介します。

 

 ある女性(40代)は夫を亡くしたことが原因で何もかもやる気をなくし、10歳になる長女と5歳になる息子がいたのですが、彼らの世話もろくにできなくなってしまいました。彼女は子どもを連れて実家に帰り、両親にサポートを受けながら、立ち直るように努めます。

 

 しかし、彼女は夫を失った悲しさから逃げるために、子どものことは両親に任せっきりで、自分は毎晩のように友人と出歩くようになりました。夫を亡くした悲しさのあまり、やがてその感情は「何をやっても意味がない」といった怒りに変わってしまい、投げやりになってしまったのです。

 

 人は投げやりになってしまうと、どんどん自分を傷つけてしまいます。彼女の行為は、自ら自分を傷つけようとする行為です。怒りから生まれる行為には、癒やしは一切ないのです。

 

 幸い、ご両親がいたことで子どもたちは立派に育つことができていますが、彼女と子どもたちの関係はギクシャクしたままです。ご両親も、いつまでも生きているわけではありません。このままでは、まるで綱渡りのような人生を過ごすことになってしまいます。

 

 しかも、人はひとりで生きているわけではありませんから、自分が綱渡りのような人生を歩んでいると、関係する人にも影響を及ぼしてしまうのです。彼女の場合、最も影響を受けるのは子どもたちです。

 

 そうした状況で、彼女がするべきことは明らかです。自分のこと、両親のこと、そして子どもたちのこと、亡くなった夫のことを思えばこそ、夫が逝ってしまった事実は事実として受け入れて、彼が残してくれたふたりの子どもたちとどう人生を歩んでいくのか、そしていつもサポートをしてくれる両親に何をお返しするべきなのか、それを考え、行動に移さなければいけないのです。

 

 悲しみを持つのは人間として当然のこと。しかし、その悲しみを怒りに変えてしまうのはわがままな行為で、誰も得をしないことなのです。これまで数え切れない数の人が悲しみを乗り越えてきているのですから、「自分はできない」と思ってしまうのは、自我が思い込ませている幻想です。幻想とは意識を変えれば覚めていくものなのです。

 

 因果の法則はこの世界の根底をなす法則ですが、それは恐れおののき、ただ身をまかせるしかないことではなく、人生をよりよく生きていくための知識なのです。

 

 私たちひとりひとりの魂は、さまざまな知識を取り入れながら、この肉体という物体を使って因果の法則の上で生きていきます。法則を使うも自由、使わないも自由です。魂は正しい心も持っていれば、正しくない心も同時に持っています。ですから、当然のように私たちは間違いを起こすわけです。

 

 間違いをなるべく起こさないためには、魂が持つ間違いを見つけ、直す必要があるのですが、そのためにはなるべく自我をコントロールしなければ正しく判断することができません。しかし、これが難しいのです。

 

 他人のことは「あの人はプライドが高い」と冷静に分析できるのに、いざ自分のこととなると「いやいや、私がプライドが高いだなんて、そんなことはない」とどうしても思ってしまうのです。

 

 

 

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