心を養うということは、人との交流を通して、我を抑えられる人間に成長することです。
言い換えれば、自分ではなかなか気づきにくい我の強さや欠点に気づかせてくれるのが、身近な人との心の交流です。
自分の欠点に気づいて、直すこと。
相手に対する理解を深めて、許すこと。
身近な人との良好な関係を築く努力をすること。
人との交流の中でこれらを心がけることによって心が養われ、我が抑えられるようになります。
そうなると、人から信頼されるようになり、物心両面においてさまざまな協力や援助が得られるなど、向こうから幸せがやってくるようになるでしょう。
そのために心がけるべきことが、どんな人に対しても思いやりと忍耐を持って接すること。そして、仮に相手に落ち度があっても、その人の気づきや成長を願って許すことです。
ただし、ここで一つだけ注意すべきことがあります。
それは、相手を許すことが大事だと言っても、ただやみくもに許せば良いということではなく、許し過ぎて相手の我欲を増長させてしまう場合もあるので、それが偏った愛情になっていないか、その見極めが必要です。
許すという行為には、二つの側面があります。「相手に対する怒りの感情を手放して、その人の気づきと成長を見守るというプラスの心(忍耐の中で許す心を持っている)」と、「自分の心を満足させたい、寛容に見せたいがゆえに許そうとする心(我欲が心の底に渦巻く)」です。後者の心は、結果として、相手の気づきや成長にとってはかえって良くありません。
自分を良く見せたいといううわべだけの偏った愛情は、悪いカルマになります。
だからこそ、よくよく相手のことを知り、いろんな角度からその人の性格や心を理解していく必要があるのです。
そのためには、より多くの知識を得て、幅広い人との交流によって理解力や判断力を養うしかありません。
優しさについても同じことが言えます。
いくら優しさが大事だからといっても、度が過ぎた優しさは悪いカルマになります。
「自分は優しい(できた人間)から何があっても怒らない」
「どんなにひどい人に対してもいつも笑顔でいる」
「何をされても優しく見守ってあげないといけない」
そんなふうに、度が過ぎた優しさは、ただの自己満足だったり、単に相手を甘やかしているだけに過ぎません。
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