現代社会は他人のみならず、肉親であっても愛情が薄れていってしまっているのではないか?
それがトラブルや不幸を招いてしまう大きな要因のように思われてなりません。
特に、肉親間の愛情が薄れてしまうと、人に対する思いやりや信頼感に欠け、不信感や競争心だけが強くなって、不要な対立を生みやすくなるからです。
最近では、きずなを育む愛情ホルモン(オキシトシン)が話題になっていますが、飽食の時代を生きる私たちは、昔のように “助け合いの精神” が薄れ、身体的にもまた心の面でもスキンシップや交流が少なくなっています。その愛情不足から人間関係が難しくなってしまうのは容易に想像できます。
今、虐待や育児放棄をする親が増えているのも、忍耐や努力の精神が薄れているからだという見方も、あながち否定できないと思います。
二十代、三十代、四十代、五十代、何歳であっても、人生の先輩である親たるものがまずそこに気づかないと、私たちの子孫は心の道しるべを失ったまま、心を養えないまま育ってしまいます。
共稼ぎの多い中、忙しいからと物や金品を中心とした子育てをし、心を通わす会話や思いやりを知らないまま生活をするならば、せっかく子供を授かっても、血縁があるかどうかに関わらずに思いやりや、助けあうことが大切であるということを知らない大人となり、愛情豊かな家庭を築くことは極めて難しい……。なぜなら、それは本人たちにとって「知らない世界」だから__。
愛に飢えた人たちによるさまざまな不幸の連鎖__それを止めるのは、まず親自身が心を養うこと、そしてそれを自覚したうえで、子供たちへの接し方を見直してみることです。
親きょうだいを亡くしたり、血縁者がいなくとも、周囲の人たちと愛情を育みながらしっかりと人とのきずなを築いていれば、たとえ他人であっても心の交流を持って、楽しく助け合える人生を送ることができ、孤独な最期を迎えることはないはずです。
また、他人であっても信頼しあい、強い絆で結ばれている人同士は、いざという時、「この人ならば、無条件で助けたい!」と、お互いに損得勘定抜きで動けるからです。
お金とか物だけではなく、ただただ無条件で助けてあげたい、手を差しのべたいと思える関係__うわべやうそ偽りのない誠の心、真実の愛が培われているからこそ、それができるのです。
身近な人との交流を通して、そのような心を養っていくことができれば、自分自身も成長できるし、人とのきずなも確実に深まっていくことと思います。
いつもこれらのことを心がけて生きていれば、対人関係において、目立たず、出しゃばり過ぎず、卑下することもなく、対等な立場で言葉のキャッチボールができ、相手のことをよく理解して、自分の我を抑え、人のために自分の成すべきことを成せるのではないでしょうか。
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