青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

人の愚かさに惑わされないためには

 神仏は、人間の幸せを願っています。

 

 神は人間のように短気ではありません。とても気が長く、その人のこの世のまっとうすべきカルマゆえの苦しみであれば、その解決、つまりカルマからの脱出のためのアドバイスを与え、救いあげようとします。

 

 しかし、なかなかそれを認めない我の強さなどがあると、神と相談者の間で私が苦労することもあるわけです。

 

 ですから、自分の我欲やプライドに気づいて素直に反省し、それを改められれば、神の救い、すなわちカルマからの脱出につながります。

 

 神に愛される人とは、そのような正しい知識を学ぶ努力を続け、決して人を見下したり、落し入れたりしない、人が見ていようがいまいがきれいな心を持つ人です。

 

 それとは反対に、明日は自分が崖から落ちるかもしれないのに人をさげすんだり、笑ったり、落し入れたりしてしまう人間の愚かさ…。これこそ、その人その人が持つカルマの一つでもあるのです。

 

 誰もが幸せになれるはずなのに、それに気づくこともできず寝ぼけている多くのスピリット。これも、ものごとを理解できずにいる知識です。

 

「いや、自分は覚醒しているスピリットだ」と思っている人もいるかもしれません。

 

 はたしてそうでしょうか?

 

 気づきとは知識です。

 

 私もあなたも、自分が得意な分野で長けているかもしれません。

 

 ですが、科学や物資文化の発達のみならず、目に見えない世界を含めいろいろな分野から見たらいかに知識不足であるか……。それが気づけないがため、それゆえに、私たちは転生をくり返し、現世ロードで気づき直して、より自分の魂を向上させるために修行をしているのです。

 

 神は私たちの親のような存在ですから、私たち一人ひとりが判断力を高めて、精神の向上を目指すことを願っています。

 

 正しい、間違っている、してはいけないこと、などを見極められるのが判断力の一つです。

 

 例えば、事実をありのまま伝えることと、人を落し入れることは、まったく違うということを知るのも、その人の判断力が問われます。

 

 事実を伝えることによって気づける人がいる一方で、意識的な嘘や間違っていることをあたかも事実であるように伝えることは、人を落し入れることにつながります。

 

 例えば、インターネットなどで人の誹謗中傷を流すのは、その人を落し入れることで、行動している人は罪の意識がないかもしれませんが、これは大変な罪です。

 

 なぜなら、全国の人々に対して無差別に自分の想像や判断を教え込もうとする心、そのこと自体がその人の心の間違いであり、自分がそうされたら嫌なはずなのに、そのような行いは、それを見て信じる人、信じない人よりも大きな罪となります。

 

 これも知識がないからです。判断力や理解力が足りないのです。

 

 もちろん、どんな人でも不足があり、悪いカルマ、愚かさがあります。

 

 不足のある者同士が、お互いを反面教師として学びあう、だからこそ人生は修行なのです。

 

 そこで、自分の愚かさや不足に気づいていれば、他の人の不足も冷静に見えるようになるので、愚かな人に惑わされなくなります。

 

「人に騙された」「あの人に裏切られた」というのは、結局のところはそれを見抜けなかった自分自身も愚かだったということです。

 

 ですから、被害者意識を持つよりも、一人ひとりが自らの愚かさに気づいて、愚かな人に惑わされないようにスピリットを磨いていくほうが賢明です。

 

 親が悪い、大人が悪い、学校が悪い、社会が悪い、マスコミが悪い、政治が悪い、誰かのせいにして被害者意識を持つよりも、自分自身の心の不足に気づくこと。そして、気づいた人から善いカルマを増やしていくしかないのです。

 

 何でも好きなだけ与えられてきたこれまでの飽食の時代。

 

 とりわけ終戦直後に生まれた世代は、「自分ができなかったことを可愛いわが子にしてあげたい」その思いが根底にあり、子供たちに食べたいだけ食べさせてあげるのが幸せだと思って何でも与えたり、自らブランド品で身を飾ったり、子供が欲しがるものは何でも買い与え、友だちのように理解ある親を演じてきた人が少なくなかった。

 

 それが一つの家庭という環境の中で、他人の目に見えない歪んだ心を助長させて、人を見下すような人間になる原因をつくり、途中でランクを落せない生活を生んでしまった。

 

 これは、中国のことわざにある「抜苗助長」(『公孫丑上』孟子)すなわち、「我、苗を助けて長ぜしむ。苗、即ち枯れたり」の故事で、急速に成長させようとして、無理に力を添えてかえってこれを害する、ことと同じです。

 

 このことわざは、次のような宋の農民の話から出た「功をあせって方法を謝る」たとえです。

 

 「むかし、宋の国にある男がいた。

 

 田んぼの稲苗の生長が遅いことに大変気をもんでいた。

 

 とうとうある日、男は田んぼに行き、苗の成長を助けようと全部の苗を少しずつ上に引き上げていった。

 

 疲れ果てて家に帰り、家族にこういった。

 

 『きょうはすっかりくたびれた。早く生長させてやろうと思って、苗を引き上げてきてやったよ!』

 

 男の息子がそれを聞いて慌てて田んぼに行ってみると、そこに植えてあった稲苗はすっかり枯れてしまっていた。(独立行政法人科学技術振興機構・中国総合研究センターHPより)」

 

 この故事と同じようなことが、戦後の経済成長期に起きてきた。

 

 これも、日本人の多くが、過去・現在・未来を考えずに目先の欲や物資的な豊かさだけを追い求めてきた結果ではないでしょうか。

 

 我欲を満たすためだけに要領よく生きている人たちは大勢います。

 

 うわべではニコニコして虫も殺さないような顔をしていても、あちこちで自分の都合のいいことだけをいって、人と人を仲たがいさせるような裏表のある人もいます。

 

 神はそういう人を嫌います。

 

 しかし、それでもこの世ではそのような人たちも必要なのです。

 

 そういう罪を持っている、そのような魂を持って転生をしているからこそ、この世は修行の場です。

 

 残念なことに、この世の善・悪があって修行ならば、私たちはいかに一つひとつ自分のカルマの欠点をいち早く気づき、来るべき転生のため、日々心して反省しつつ、現世ロードを歩むべきです。

 

 

 

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