青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

気づけば運命は変えられる

 気づくべきことに気づけないというのは、「自分の欠点に気づけない」のか、あるいは「自分の欠点を認めない」ことがそもそもの原因であることに気づけないでいるのか、です。

 

 言い換えれば、自分の欠点や至らなさを素直に認められる人は、気づくべきことに気づきやすいと言えます。

 

 本当は、誰もが素直さを持っています。

 

 ただ、どうしても、自分は悪くないとごまかしたり、嘘をついたり、言い訳をしてしまう。そして、誰かのせいにすることで、知らない間に心に汚れをためてしまうのです。

 

 幼い子供の頃には、誰もが素直さを持っていたのではないでしょうか?

 

 悪いことをして親に注意されれば、素直に「ごめんなさい」と言えたはずです。

 

 それが、いつの間にか自己弁護をしたり、欠点を覆い隠したまま表面的に “いい人” を演じたり、他人から認めてもらいたい、自分では良かれと思って自己主張をしていることに気づかないでいるのです。

 

 ふだん、自分で考えて行動していることや、言葉を発していることが “悪い” とは心の中でなかなか理解できない場合が多いようで、ある意味、心が未熟なまま大人に育ってしまったのかもしれません。

 

 誰もが日々、仕事や生活を一生懸命に頑張り、その人なりに気をつけ、努力をしながら生きています。

 

 しかし、この努力や頑張る陰に “気づけない苦しみ・不幸” が潜んでいるのです。というのは、自分の心の中で考えて行動していたことが、本当は第三者から見ると、考え方の不足があったり、周りの方々との差があることにさえ気づかないまま、知らず知らずのうちに良かれと思って未熟な心のままで人生を歩むことになるからです。

 

 そのような、気づけずに良かれと思って頑張る人生は、決して幸せへと至る道ではなく、私が「アンハッピー・ロード(unhappy road)」と呼んでいる道のりと同じではないでしょうか?

 

 例えば、年配の方や若い方に限らず、驚くほど理解に苦しむような話を平気でしゃべり続け、私がそれについて何度質問をしても全く自分の話すアンバランスさに気づけないでいる。

 

 会話をする上での欠点、主語、述語、助詞、助動詞などの使い方の間違いにすら気づいていないのです。それらの使い方を間違うと、過去形や尊敬語なども正確に相手に伝わらず、意味不明になります。

 

 これは、「何がおかしいのか」に気づけない部分と、知識不足から来ていると思います。

 

 それゆえ、「自分は絶対に間違っていない!!」という自負の念が強く、気づけないばかりか、認めず、譲れず、非を認めない。その結果、夫婦喧嘩、職場での不和、周囲の人たちとのトラブルなど……が生じているのです。

 

 いずれにしても、気づくべきことに気づけない人が不平不満ばかり述べて、自ら不幸の種をまき散らしているのです。

 

 最近は私の本を読んでくださって、「自分の欠点に気づいて直していきたい」と言って来られる方もずいぶん増えてきました。

 

 そのような方は、私が透視をして、

 

 「失礼ながら、あなたはこういう欠点がありますね」とズバリ言うと、

 

 「あっ、そこなんですね。原因は……」と。

 

 親子関係でも夫婦関係でも、トラブルの原因は、子供が悪いのではない、相手(夫・妻)が悪いのではない、自分自身が無知だった、至らなかったのだと……。

 

 「先祖供養をしなければ幸せになれない」と思っている人には、

 

 「あなたが気づいてワンランク上に行けば、ご先祖もワンランク上に行けるのですよ」

 

 と諭せば、それも素直に理解していただける。

 

 そして、似たような問題を抱えている相談者の方々には、一緒に話を聞いてもらうように声をかけることで、「原因を知りたいので一緒にお願いします」と相席される人も増えました。

 

 そうすると、同席した方々も、「ああ、自分も同じような不足があって、それが原因だったんだ」と納得されます。まさに、人のふり見て我がふり直す、です。

 

 ご自身の問題に気づかれた方々が増えることで、一人ひとりが周囲の人たちにやさしくなれて、壁にぶつかった時もすぐに反省できるようになります。

 

 もちろん、なかには「自分は悪くない」と言い張ったり、「お説教を聞きに来たわけじゃない」などと言う方もいますが、ご本人が気づかれて笑顔になって帰られるのが私にとっては何よりも喜びです。

 

 相談者の方々の心の変化を見るにつけ、正直なところ、私もやっと自分のお役目を心から受け入れて、感謝できるようになりました。

 

 なかにはいじめによる子供の自殺や身内の自殺など、痛ましい出来事を体験されて相談に来られる方々も後を絶ちません。

 

 それもこれも、カルマがあるがゆえの運命であるかもしれません。

 

 しかし、気づけば運命は変えられます。

 

 例え、悪いカルマを持っていたとしても、それに気づけば、人は変われるのです。

 

 例えば、オレオレ詐欺やインターネットで人の悪口や嘘デタラメを流すなど、人を落とし入れるようなあくどいことをもくろんでいる人がいたとします。

 

 でも、「そんなことをしてはいけない」という人の言葉に素直に耳を傾けることができたとしたら、あるいは、被害にあった人の気持ちを少しでも理解したり、人のふり見て我がふり直すことができれば、その時点で留まることができるはずです。

 

 これが、自分の心の醜さに気づいたということで、そこで運命が変わるのです。

 

 もしそこに気づけず、実際に人を困らせたり、悪どいことをしてしまうと、結果的に汚れた魂を増やすことになってしまいます。

 

 魂は同じレベルの魂と引き合います。

 

 親子関係に限らず、恋人や結婚相手、職場や趣味の仲間なども同じです。

 

 汚れた魂は汚れた魂を呼び、きれいな魂のもとにはきれいな魂が寄ってくる。それが不幸と幸せの運命を分け隔てるといってもいいでしょう。

 

 また、なかには、周りの人を見下したり、世の悪をただ嘆いてばかりいる人もお見かけしますが、それもその人の持って生まれたカルマであり、その人のカルマは本人のみしか解消、克服できないのです。

 

 

 

 

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