青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

判断力や理解力が乏しいと気づけない

 「気づきとはどういう意味ですか?」

 

 私の本を読んでそう聞いてくる方もけっこうおられます。

 

 気づきとは知識です。

 

 知識を得ることで理解力や判断力が養われます。

 

 ですから、気づかなければいけないことに気づくためには、「幅広い知識を得ること」です。

 

 正しい理解力と判断力が身につけば、自分の心の不足にも気づけるようになります。

 

 いいかえれば、気づけないのは、理解力や判断力が乏しいからです。

 

 ですから、神は時にその人の判断力が足りないことをズバッと指摘されます。

 

 もちろん、それはその人の気づきを促すためです。

 

 例えば、事業を始めたという人がいたとします。

 

 しかし、人と上手に交流ができない人には、「あなたは事業を始めるのは無理」とはっきりいわれます。

 

 事業、商売というのは、人が集まってきて初めて成り立ちます。

 

 山の中の一軒家に一人で住んでいても、人が集まって来ないのでは商売は成り立ちません。

 

 そのように、その人の周りに人が寄ってこなかったり、すぐに人が離れていくような人は商売に不向きなのです。

 

 この、他人から見ると、当たり前のことが本人にはわからない、気づけない。ここに理解力、判断力の乏しさがあるのです。

 

 人が離れていく、これもその人のカルマです。

 

 そのようなカルマを持っていたうえ、それに気づかずにいたならば、たとえ一時的に事業がうまくいきかけたとしても、結局は失敗に終わります。

 

 相談者にそこを指摘すると、知識の意味を理解してもらえず、怒って帰る人もいます。

 

 我欲のみの心で事業をする人は、うわべだけの言葉とお愛想で一時はうまくいったとしても、相手もその心を見てしまうので、だんだんと「ずるい人」と見抜かれて、人が離れて事業が成り立たなくなります。

 

 ですから、何か事業を始めたり、商売を長続きさせたいのなら、まず自分のカルマを知って、幅広い知識を学びながら欠点を克服するための努力をする。そうすることで人が集まってきて、事業もうまくいくのです。

 

 ところが、実際に相談に来られるのは、プライドだけ高く、自分の行動そのものを知ることもなく、他人の意見を聞くこともせず、お愛想と低姿勢であればうまくいくという浅はかな考え方の人が実に多い……。

 

 これでは、愚か極まる知識不足そのもので、このような考え方は、独りよがりの考え、つまり個人的な感情論に過ぎません。

 

 ビジネスを成功させるためには、何が必要なのか?

 

 資金か? アイデアか? 立地条件か?

 

 それとも、性格や人柄なのか?

 

 事業を始めるには、まずこうした点についての基本的な理解や知識が必要です。

 

 そして、人の使い方や自分の知識の程度(学歴ではなく)の見落としはないか? などと常に自問しながら、専門分野だけではない幅広い知識を得て、それぞれの課題について確かな判断力を養っていくことが大切です。

 

 判断力と同じように、理解力が乏しい人も気づくのが難しくなります。

 

 特に、家族間ほどわかっているつもりになりがちなので、ここでも理解力が求められます。

 

 こんな相談ケースもありました。

 

 父親をがんで亡くした人の話です。

 

 その人は長男で、親の葬式をすませた後で、父親が定年退職まで勤めていたので貯金があるかと思って貯金通帳やタンス貯金がないか、家の中をあちこち探し回ったそうです。

 

 ところが、通帳には数百円しか残っておらず、どこにも現金は置いていなかった。

 

 父親はがんとわかる前からお金使いも激しかったうえ、がんになると、「どうせ死ぬなら自由にして死にたい」と自分のことしか考えず、家族への配慮もせずに旅行三昧、遊び三昧でお金を使いはたし、おまけに借金まで残してこの世を去ったというのです。

 

 生命保険にも入っていなかったので、残された家族にはまったく遺産が入らなかった。残された長男には年老いた母親や子供もいたことから、とても苦労したといいます。

 

 生前、父親は「死んだら終わり」という考え方だったようで、これも知識不足ゆえですが、自分のことだけしか考えなかったがために、借金返済する苦しみを強いられた長男夫婦から仏壇を見るたびに憎まれるはめになろうとは……、何ということでしょうか。

 

 しかしこの結果は、子や孫のことを案じない自分本位の考えがもたらしたのです。

 

 もしかしたら、不安な気持ちを忘れたいということもあったかもしれません。

 

 それにしても、後に残される家族のために少しは何か残してあげたいと思うのが親心ではないでしょうか?

 

 一切何も残さない、ましてや借金までとなると、子や孫の将来に対してあまりにも理解がなさ過ぎます。

 

 がんであろうが何の病気であろうが、息を引き取る瞬間までもっと幅広い知識や愛情があれば、そのことに気づくこともできたはず…。

 

 亡くなった後もその父親の魂は生き続け、輪廻転生をしてどこかに生まれ、そこでも現世ロードという道のりの中、自らの不足を直すべき苦労が待っている、つまりそれが新たな人生の修行となるわけです。

 

 自分のスピリットがこの世で何を学んだか、そして何を学ばなかったのかもそのままあの世と来世に持ちこされる__これも知識です。

 

 この例にあげた父親は、残される家族に対する理解不足と同時に、「人間は死んだら終わり」というあの世の知識不足もありました。

 

 この考え方が、気づきのチャンスを逃してしまう原因の一つです。

 

 なぜなら、困った時や病気、死に直面することは気づくための機会だからです。

 

 病気になって初めて心の中で学ぶことが必ずあるはずで、死を迎える直前までに気づけることもあるのです。

 

 たとえそれがどんなに苦しくても、その苦しみはあなただけしか直せない。苦しみは、カルマがあなた本人に気づいてほしいと痛切に訴えている叫び声でもあるのです。

 

 思うようにならない困難な状況や苦しみ、死ぬほどのもがきの中でこそ、カルマを乗り越え、新たな旅立ちができる、つまりカルマからの脱出ができる。

 

 いいかえれば、病気や死などに対する理解を深めることも知識であり、そこでいかに心を軽くしていくか、カルマを乗り越えられるかどうかというその人にとっての試練でもあるわけです。

 

 ですから、苦しいからと目の前の現実に目を背けて逃げたり、自分の不足を直そうとしない、覚ろうとしなければ、気づけずにカルマからの脱出ができないままになってしまうのです。

 

 スピリット(精神・魂)はこの世で終わるのではなく、死後も生き続けます。

 

 この理を理解すると、死に対しても寂しくも悲しくもなく、前向きな考えが早くできます。

 

 亡くなると、もうその肉体に魂は宿ってはいません。ですが、ご遺体は生きている人にとっては大切な人の一つの面影であり、馴れあいの情となって別れの悲しみが深まります。

 

 しかし、そこは魂の居場所ではありません。魂(スピリット)はすでに肉体から浮上しているので、抜け殻であるご遺体は物体にすぎないのです。

 

 ようするに、私たち人間はこの世で生き続ける限り、スピリットの欠点としての悪いカルマを解消するために肉体を離れる瞬間まで学び、気づくために自分自身と向き合っていかなければならないということです。

 

 スピリットについて、私はよく「球」に例えて話すことがあります。

 

 その球にコケのような汚れが生えている、と想像してください。

 

 そのコケが悪いカルマだとすると、コケの部分は自分の愚かさ、至らなさ、気づいていない欠点、短所。それに気づいて、改めていくことで、びっしりと生えていたコケもはがれおち、球の輝きが増していくのです。

 

 お月さまを想像してみるのもいいかもしれません。

 

 お月さまに陰がかかっているとします。

 

 やがて、その陰が取れて輝きを増していく。それはまさに鏡のように光りを放っています。

 

 その丸い鏡のような光が周りの星をも照らし出すように、私たち一人ひとりが家庭や社会の中で心の豆電球の灯りを放っていく。そして、その光に触れて幸せになれるわが子、夫や妻、対人関係etc……、と広がるように。

 

 それが、スピリットの旅の途中にいる、現世ロードの目的なのです。

 

 

 

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