人は死んであの世に行くと、天国か地獄のいずれかに行く、という話は誰しもよく耳にしていることと思います。
これは、現世で心を戒め、改めるための、見えない世界の比喩として伝えられていることの一つです。
実際には、あの世はそれぞれの人の生前のカルマの心(スピリット)の清らかさに応じた階層的な世界になっていて、天国・地獄のように両極端に分かれた世界ではありません。
ところが、長い間、天国や地獄は、あの世の話として語り、伝えられてきました。
若い人や見えない世界に感心のない人の中には、「あの世の話なんて自分には関係ない」と思っている人もいるかと思います。
天国・地獄は、あの世の話ではなくて、この世での生きざまが天国・地獄なのです。
「地獄は死んでから行くものだから、生きているうちは何をやってもいい」と断言する人がいましたが、決してそうではありません。
生きているその人のカルマ(前世の生き方)はこの現世ロードで命とともに生き続け、善いカルマ、悪いカルマが行動するのです。
善いカルマは幸せですが、この世へ修行として転生してくるのですから、誰にも大なり小なり悪いカルマがあります。それがスピリット(心)とともに生き続け、ある人は「この世の生き地獄」と思うほどの苦しみを味わいながら、またある人はほどほどで過ごしたり、あるいは、いろいろな知識を得ることにより、その苦しみを自らの心で軽減できる心になれるのです。
要するに、その人の心のうちに、不幸をもたらす地獄の姿が現れているのです。
仏教にも死後、地獄に落ちた人達の姿を描いたとされる「地獄絵図」がありますが、それは、私達が前世の行い(業)のいかんによって、魂が地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界という六道輪廻を繰り返すという因果応報の法則をあらわしたもので、いわば「心を直させるため」に描かれたものです。
因果応報とは、前世の行いが現世のカルマをつくるということだけではなく、その人の心のあり方がそのままこの世の地獄や天国をつくりだしているという意味でもあります。地獄は不幸、天国は幸福と置き換えてみるとわかりやすいかもしれません。
つまり、この世に生きている人間の心の状態が、そのまま天国(幸福)にもなるし、また地獄(不幸)にもなる。地獄、すなわち不幸は、人を見下したり、おとしめるような汚い考えや、恨み、つらみ、妬みを持ったり、悪い行いによって生じる。
だから、そのような地獄(不幸)をもたらす心を持つのはやめなさい、そうではなく、天国(幸福)につながる清らかな心を日々保てるように自省しなさい、という心の汚れを制するための一つの教えをあらわしているのが地獄絵図です。
もう一度いいます。
天国・地獄は、あの世ではなく、この世に生きている人の心にある。
私は毎日のようにさまざまな問題を抱えた方々の相談に応じていますが、相談者の話を聞くたびに「他人のふりみて我がふり直せ」という言葉の重さを実感しています。
神に愛される生き方を望むなら、それを踏まえたうえで、まず自分自身のカルマという心の垢、汚れに気づいて、それを取り除いて克服していくこと。そのために必要なのが、正しい判断力や理解力を得るための幅広い知識です。
数ある宗教・宗派のどれが良いとか悪いとかいう話ではありません。
どんな宗教・宗派であっても、また自分にとっての精神的な師やグループであっても、その人のカルマにあった方々と縁ができるし、またそこで気づくべきことがあります。
ですから、属している宗教・宗派、団体に関わりなく、一番大事なのは、自分自身の心を磨くこと、心を浄化すること。つまり、欠点に気づいて直すことです。
欠点に気づいて直しても、また繰り返してしまう……。
でも、それでも、直す努力こそが大切であり、一つひとつ欠点をクリアしていくためには、やはり「知識」を得ること。その積み重ねによって、また一つ直していけるのです。
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