突発的な事故、痛ましい事件、自然災害等々、それがたとえどんな出来事であったとしても、現世で自分が遭遇したことは自分のカルマと決して無縁ではありません。
私がよく知っているある男性が、親御さんに連れられて相談に来たときのことです。
神が見せてくれたのは、前世のカルマによって、「彼が二十歳になったとき、大きな事故にあう」との光景でした。
当時、彼は十七歳で、私もよく知る間柄だったこともあって、少なからずショックでしたが、そのことを正直に親御さんに伝え、「くれぐれも事故に十分気をつけてください」といいました。
それから、三年が経過して、彼が二十歳になった頃、親御さんから連絡がありました。
その彼(息子さん)がバイクで通行中、急に左折してきた車に追突されて、事故にあってしまったというのです。
不幸中の幸いで、九死に一生を得たものの、彼は複雑骨折で長期間入院することに……。
カルマの法則から見たら、その事故は起こるべくして起きてしまったということです。
たとえば、極端な場合、わが子が自殺してしまった場合、親にとってはとてもつらく、胸を引き裂かれるような体験でしょう。
しかし、それもまたカルマによる縁であり、そこで残りの人生をただ悲しみに打ちひしがれたまま過ごすのではなく、親自身が何に気づいて、直していけるか、が大事なのです。
仮に、殺人事件の場合でも、殺した人と殺された人にもカルマゆえの縁があり、その痛ましい事件を通して、何に気づいて、どのように心の成長につなげられるか。
その気づきの如何が、また悪縁をくり返すのか、それともここで悪縁を断ち切って、良縁に変えていけるのか、という来世の方向を決定づけることになります。
要は、その苦しみの中で、自分は何に気づかなくてはいけないか、何を学ぶべきかが重要であって、ただ感情的にふり回されることなく、心を磨くための機会にできれば、それが双方にとってスピリットを成長させることになるのです。
また、特にお世話になったり、好かれたいという理由もないのに、なぜか「この人の役に立ちたい!」という心理が働く場合なども、過去世においてその人に何らかの借りがある場合があることがあります。
そのような場合は、役に立つことで借りを返したいだけなので、お礼を求めたり、特別に扱われたいわけではなく、借りが返せたら、自然に縁も遠のいていくことになります。
関係が一定期間続く場合でも、やがてその関わりは消滅し、関係が離れるのですが、そこでお互いを大切にしあい、良好な関係を継続するためには、新たな出発を意味する「心の知識」をしっかりと理解し、行動しないと、“大切な福” を失うことにもなりかねません。
なぜなら、カルマの貸し借りが終わると、相手側が元の “愚かな部分” を直していない場合、さらに見えない罪が表面に浮き出ることもあるからです。
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