青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

すごい反響をいただいております。

 

 みなさんこんにちは。おかげさまで好評をいただいておりますnoteの原稿を、少しですがブログでご紹介させていただきます。ご興味ある方はお読みいただけますと幸いです。

 

「継続的に原稿をまとめてほしい!」という声が多いので、これから定期的にnoteで原稿を配信していけたらなと思っています。よろしければフォローをよろしくお願いいたします。

 

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はじめに

  ここ青森で皆さんの悩みをお聞きするようになって30余年、これまでにたくさんの相談を受けてまいりました。その内容は、家族や友人との悩みから仕事上での悩み、恋愛や結婚について、果ては人生を生きる意味についてなどと多岐に渡り、この世には本当にたくさんの悩みがあるのだと知ることができました。もちろん悩みのない人間など存在せず、私にしても、なんの憂いもなくこれまでの道を歩んできたわけではありません。己自身、悩みを抱えながら、多くの方々の相談を受けてきたこの年月は、「人間とはこうも悩み苦しんで行きていくのか」、そう痛感せざるをえない道筋でもありました。

 しかし、いつの頃からか私はあるひとつの原理に行き当たりました。それは、人の悩みや苦しみのもとにあるものは、「幸せな人生を歩みたい」という、シンプルな欲求にあると気がついたのです。

 人は誰しも、幸せで光あふれる生き方をしたいと望んでおり、辛く暗い道を好む人などはいません。この感情は至極当然なもので、誰にも非難されるような類いのものではないのです。では、「幸せになりたい」と願うその気持ちが私たちを苦しめているのでしょうか? その答えはイエスであり、ノーでもあります。

 私たちの苦しみの原因の多くは、「こういう人生を送りたい」とか、「こういう自分でありたい」という素朴な願望が自分の思うように実現できないところにあります。言い換えれば、人生の厳しさに恐れおののいていることが、悩みや苦しみの根源的な原因となっているのです。ですが、欲求や願望は人が自然に持つ感情で、これ自体が悪なわけではありません。別の角度から見れば、こういった感情があるからこそ、人は願いを叶えるために努力をすることができるのです。しかし、その願いがなかなかままならぬがゆえに、心がうめき、叫び声をあげてしまうのです。そして、この状態こそが、人の悩みの正体なのではないかと考えるにいたったのです。

 このように、欲求という感情は諸刃の剣のような性質を持っており、悪い方向へと作用してしまうと、悩みへと変わってしまいます。そして、悩みが生まれてしまうケースの多くが、人間関係に根ざした問題がその背景にあることがほとんどなのです。これまでに多くの相談を受けてきた私には、実体験をもってそれを断言することができます。そのことにはなかなか気がつけないものですが、よくよく考えてみると、この帰結も当然のことなのではないかと、いま私は思うのです。

 そもそも、私たちの住む社会とは人と人の繋がりが織りなす一枚の絹のようなものです。人それぞれが一本の絹糸で、それが紡ぎ合わせられていくことによって社会が成り立っているイメージです。

 絹はあくまでも糸が紡がれなくては作ることができないように、人間もただひとりで生きていくことはできません。両親がいて初めて生を受け、周囲の人々との繋がりの上で育ち、生活しています。それは好むと好まざるとも、動かすこのできない厳正たるこの世の理なのです。

 長い人生の旅路では、気の合う友人との別れや馬の合わぬ人とのつき合いなど、自分の気持ちとは裏腹な出来事が、それこそ河原に落ちている石のようにそこかしこに転がっています。ですが、そのありふれた出来事に一喜一憂して、右往左往してしまうのが私たち人間というものなのです。

 また、人と関わりを持つ中で、怒りに打ち震えたり、気分が落ち込んでしまったりと、現在進行形の関係の上で悩みや苦しみを持つことがあります。

 例えば、どの家庭でも多かれ少なかれある嫁姑問題ですとか、友人との諍いやご近所付き合いのトラブルなど、皆さんも身に覚えがあるのではないでしょうか。こういった問題の多くは、個と個の違いをお互いが受け入れることができないがために起きてしまうのです。ちょっとしたすれ違いが、やがては大きな溝となってお互いを隔て、それぞれが非難をし合ったり、意味もなく自分を卑下してしまうことにつながっていくのです。

 先ほども申しました通り、社会というものは人と人の繋がりです。つまり、世の中に溢れる無数の〝個〟が、相互に関係してる世界です。そういった関わりの中で生きていく私たちは、自分以外の〝個〟を見て、その人となりを判断し、関係性を築いていきます。それは〝個〟と〝個〟が触れ合うことを意味しますので、摩擦が起きたり、差が出ることは自明なことです。そのような社会の中で、お互いがお互いを理解するに努め、思いやりをもって触れ合っていく。それこそが人が共存していく鍵となるのです。ですが、私たちにはそれぞれの感情もあり、腹の立つこともあれば、逆に人に不快な思いをさせてしまうこともあります。これはひとえに、相手への理解が及んでいないことに起因しているのです。

 では、どのようにすれば、お互いがお互いを思いやり、争いや負の感情を持たない生活を送ることができるようになるのでしょうか? 実は、その秘密は私たち自身の中に眠っています。

 中国の有名な故事に、「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という言葉があります。

 これは、〝相手を知り、また己を熟知していれば、百回戦ったとしても負けることはない〟という意味の兵法の教えです。

 この言葉自身は、あくまでも戦のためのもので平和的な教えではありませんが、この〝戦〟を、〝人間関係〟に置き換えてみると、また違ったものの見え方が広がります。つまり、人とつき合っていく上では、相手を知ることだけでは足りません。それに加えて自分自身を見つめ、深く理解することが人間関係の上で肝要となるのです。

 私たち人間は、決して完璧な存在ではありません。人に嫌な思いをさせられることもありますが、私たち自身もまた、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったりしているものです。だからといって、「人間だから仕方のないことだ」と開き直ってしまっては、人としての成長はそこで止まってしまいます。

 より良い人生を歩むためには、社会とは人と人の繋がりで成り立っているということを肝に命じ、相手への理解だけでなく、相互に良い関係を作ろうとする姿勢がなによりも大切となってきます。そのためにも、何かトラブルが起きてしまったときでも、人を非難ばかりするのではなく、自分自身を見つめ、〝私〟というものがどういう存在であるのか、己との対話を怠ってはなりません。それこそが本書の主題であり、より良い人生を歩んでいくための唯一の道となって、私たちを導くのです。

もくじ

第1章 あなたが持っているのは“尊厳”? それとも…

・余計なプライドが人間関係を壊す

・守備型と攻撃型のプライド 

・人生の幅を狭める生き方

・プライドの弊害 

・プライドと見栄の違いとは        

・尊厳を持った生き方のポイント

第二章 世間の目線と自分の目線 

・視線の海を生きる私たち

・一挙手一投足があなたの未来を左右する

・あなたの評価を下げる〝馴れ合い〟

・聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

・ずばり、愛される人間とは

・上辺の悩みは欲望のこと

第三章 心の闇と向き合う

・人間の人生を破滅に導く妬みについて知る

・隣の芝生は青い?

・なぜ、人は人を妬むのか?

・噂話への対処法 

・妬みは苦しみを生み出すだけ 

・妬みを持たれてしまったら

第四章 〝あなた〟と〝わたし〟

・日常の会話にこそ落とし穴がある 

・無意識に使う「こそあど言葉」の怖さ 

・感謝と謝罪は人間関係の潤滑油

・十人十色 

第一章 あなたが持っているのは“尊厳”? それとも…

 

    余計なプライドが人間関係を壊す

 プライド――。

 皆さんはこの言葉を聞いて、どのようなイメージを抱くでしょうか。

 ある人は、「仕事にプライドを持つ」というポジティブな印象を持ち、反対に「上から目線の嫌なやつ」とネガティブな感想を答える方もいらっしゃるでしょう。

 そこで辞書でこの言葉を調べてみますと、プライドとは「誇り」と最初に書かれています。「誇り」と聞くと、私たちは自分に自信を持った気高い人物をイメージしますが、「プライド」と聞くと、鼻持ちがならなくて少し敬遠したくなる人物を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

 例えば、もしあなたが、「君はプライドの高い人だね」と言われたら、どのように感じますか? おそらく、多くの人が褒め言葉ではなく、婉曲に嫌みを言われたと感じるのではないでしょうか。

 よく、「あの人は余計なプライドばかり高い」などといった話を耳にしますが、この〝余計な〟というところが今回のお話のキーポイントとなります。

 本来、プライドという言葉が持つ意味は、〝誇り〟とあるように、自信に裏打ちされた大切な気持ちです。ひとつのことに矜持をもち、それを貫き通す強い意志がプライドというものです。

 この気持ちは何をする上でも必要で、成功を収める人というものは必ずこのプライドを持っています。それなのに、なぜ私たちは〝プライド〟と聞くと、煙たがったり、マイナスのイメージを持つのか。まずはそこから考えてみていきましょう。

 先日、あるレストランでご飯を食べていたとき、隣の席に若い男女のグループが席について、おしゃべりを楽しんでいました。聞くとはなしに彼らの話が耳に入ってきたのですが、ある青年が話しだすと、その場のトーンが少し落ちることに気がつきました。

 どうもその青年は自分の詳しい話題になると、「あ~、知ってる! それはね……」

 と人の話を遮り、マシンガンのように自分の知っていることを話していたのです。もちろん、この青年の話にその場が盛り上がるわけもなく、彼らの中には白けたムードが漂っています。しかし、その雰囲気に気がついた青年はなおのこと、話すテンションをあげていきます。

 青年は確かにその話題についてよく知っているのかもしれませんが、ほかの若者達の顔には「あ~、また始まった……」っと、ありありと書いてあるかのようで、誰も真剣に彼の話を聞こうとする者はいませんでした。

 事実、彼が席を外したときに、最初にその話題を持ち出した男性が話を始めると、みんなが耳を傾けて、有意義な会話を楽しんでいました。私の目から見ても、その男性の話のほうが説得力もあり、人の心を打つものでした。このふたりの青年には、いったいどんな違いがあるのか。そこには先ほどの〝余計な〟が関わってきているのです。

 みなの耳目を集めた男性、仮にAさんとしましょう。Aさんはその説得力ある話し振りから察しても、くだんの件について、相当の知識と自信を持っていることが身受け取れました。だからこそ、マシンガントークのBさんに話を奪われてしまっても、慌てることなく、きちんとした態度で接することができたのだと思います。かたやBさんには落ち着きがなく、周りを省みることができない対応は、かえって自信のなさの表れのように感じます。

 同じ話題に強みを持つふたり。そこには負けたくないという対抗意識があっても不思議ではありませんが、Bさんは〝余計なプライド〟を持つがゆえに、支持を集めることができなかったといえるのです。

 この場合は、友人同士の会話というとてもドメステッィクな状況なので、大きな問題へとは発展しないでしょう。しかし、これが職場や家庭内で四六時中行われていたらと考えてみると、状況は変わってきます。

 例えば、あなたの職場にBさんがいるとしたらと、想像をしてみてください。ほとんどの人が「一緒に働きたくはない」と思うのではないでしょうか。

 しかし、悲しいことですが、Bさんのように余計なプライドを持つ方は、自分の意見が絶対で、他人のアドバイスに耳を傾けることができません。誰だって、高慢で人の話を聞こうとしようとしない人物とは距離を置きたくなるものです。このようなプライドを持つ方の周囲には人間関係の軋轢が生れ、いずれは人が離れていってしまうでしょう。

 このようにひと口にプライドといっても、そこにはポジティブなプライドとネガティブなプライドがあります。本当のプライドを持つ人というのは、自分と他者を比べて自信を得るのではなく、自分自身で自信を蓄えていく人のことを指します。

 Bさんのように余計なプライドを持つ人はこの部分を履き違えてしまっており、常に自分と他者を比較し、人の評価ばかりを気にする性格へとなってしまうのです。こうなってしまっては、いかに素晴らしい知識や技術を持っていたとしても、それはプライドと呼べるようなものではなく、むしろ、自惚れや思い上がり、驕りなどといった言葉で表すのが適当なのではないでしょうか。

 この本を手に取っていただいたみなさんにも、まずはプライドにはポジティブとネガティブという、ふたつの相反するものがあるのだということをしっかりと認識していただき、次項からの論考に向けていっていただければと思います。

 

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