神からすると、どんな人間にもカルマがある以上、本人がそのカルマに気づいて改めるまで、諦めることなく手を差し伸べ続ける。そのようにすべての人間を我が子のように見守り、成長を望んでいます。
わかりやすくいえば、神から見たら、人間は皆、大なり小なり欠点を持ち、この世に誕生しているということです。
そこで、共に気づきあい、学びあい、和解して、高めあうために、カルマで縁ある人と出会います。ときには、腹の立つ相手であったり、ときには助けあう人であったりしつつ……。
だから、どのような人であっても、相手を見下したり、苦しめたり、悪口をいっておとしめたりしてはいけないのです。
神の願いは、ただひたすらに我が子の成長を願う親心と同じ。「本来、親は子供に対してどんなことを望んでいるのか?」、あるいは、「親であるならば、子供に対してそんなことをするだろうか?」と考えてみれば、神の親心を推し測ることができます。
そして、神の真意がわかると、「見えない世界」の間違った知識にもある程度気づけるようになります。そのような間違った考えの一つに、「天変地異は神仏が起こしている」という考えがあります。
しかし、無償の愛で子を見守る親であるならば、我が子にそのようなことを強いるでしょうか?
天変地異、異常気象や自然災害は、神仏が起こしているのではなく、あくまで自然現象であり、大地震の多くは周期的な地殻変動によるものです。
大地震はこれまでに何度も起きてきました。長い歴史の中では、まして地震列島であるこの日本においては、決して珍しいことではありません。
また、不遇の死を悼む気持ちもわかりますが、自然災害でなくても、歴史上そのような不遇の死を遂げていった人達はたくさんいます。
戦乱の世であれば、罪もないのに首をはねられたり、割腹自殺を遂げたり、また飢饉が続けば親に間引きされた命もあったでしょう。あるときには戦争による大量虐殺や拷問、あるときには台風や津波といった自然災害、またあるときには飛行機や電車の事故に遭って、ある日突然たくさんの人が死に至ることがありました。
本人はもちろん、その家族の人達の悲しみ、苦しみはどんなにか深いことでしょう。中にはあまりの衝撃で、物事を正しく判断できなくなった人達もいたかもしれません。長い歴史の中では、それだけ悲惨な出来事が繰り返し起きてきたのです。
でも、振り返ってみると、人間はその試練を乗り越えて成長してきているのも事実です。悲惨な出来事を通して、間違いや不足に気づいて改め、知識が深まり、心も成長していく。それこそが、この世における修行の道のりであり、カルマを克服するための試練なのです。試練が人の心を磨き、成長させてくれます。
その試練の中でたくさんの人達が絆の大切さを実感し、復興に向けての力に代えているではありませんか。
神は、私達がどんな艱難辛苦に遭おうとも、それによって心を磨いて人間性を高めることができるように、その試練を心の研磨剤として成長してほしい、そう願っているのです。
ですから、不安にかられるのではなく、何かあったときこそ原点を見つめ、その試練を通して心を磨き、ともに支えあい、スピリットの向上を目指して前向きに生きていくことが神の望みであり、神に愛される生き方だと思います。
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