人間は誰しも長く生きていると、それまでの自分の物事に対する考え方や対処方法を変えることに抵抗感を覚えます。
それは、それまでいろいろな失敗をしながら自分が会得してきた考え方よりも、よりいい方法があったのだということをすんなり認めては、今までの自分が全否定されるような気持ちに陥るからでしょう。
ある時、年老いた母親と四十間近であろう長男が二人で私の拝殿を訪れました。お母さんが無理矢理ご長男を連れてやってきたことは、二人の様子を見てすぐに分かりました。
「何代もずっと守ってきた本家の母屋を取り壊し、新しく家を建て直したいと長男が急に言い出した。そんな罰当たりなことを言うなんて、嫁にそそのかされたに違いなく、嫁に何か悪いものが憑いているかもしれないので祓ってほしい」というのです。
聞けば、何か憑いていたらすぐに祓ってもらえるように、拝殿の脇の控え室に嫁を待たせてあると言います。
神におうかがいした結果、視えたのは立派な日本家屋でした。欄間には素晴らしい細工がしてあり、大黒柱もとても今ではお目にかかれないような立派なものです。建物は古いですが、本当に丁寧な仕事がしてあり素晴らしいものでした。
きちんと剪定された日本庭園もあるのですが、部屋がいくつもあるようなお屋敷なのに、何と台所の隣にある和室と舅夫婦が普段使っている部屋、それに長男夫婦の寝室以外は、先祖代々が溜め込んだ「がらくた」とも「お宝」とも分からないもので埋め尽くされ、まったく使えない状態になっていました。
その上、どの部屋にもとにかく物があふれているので、雨戸さえ開けられずジメジメして、挙げ句の果てに、無造作に長年の間に積み上げられた物で、暗い物置と化している状態が見えます。
長男は小さい時からこの家に住んでおり、その環境を当たり前と思っていましたが、同居したお嫁さんはびっくり仰天。
とにかく荷物を整理しようと孤軍奮闘しましたが、何かを捨てようとするとお姑さんが飛んできて、物を粗末にするなんて、と怒鳴る。カビの臭いは激しく、もう耐えられない。別居するか、家を建て替えるかと旦那さんに詰め寄っている姿が視えました。相談者の方の気持ちも分かりますが、あまり物に執着しない私には、お嫁さんの気持ちもよく理解できます。私は、
「お嫁さんには、悪い霊など憑いていませんから、大丈夫です。それより、ご先祖様が代々使ってきたモノを大事にしたいというあなたの気持ちはよく分かりますが、大事にするというのは、ただ物を積んでおく事じゃないでしょう。これではよくないわね。いまのおうちの状態では、カビやらホコリやらで、そのうち家族が病気になってしまうんじゃないかしら。大事にすべき物は、きちんと綺麗にしてあげたほうがいいし、積んであるだけの不要品は、お嫁さんの言うとおり捨てた方がいいと思いますよ」
と申し上げました。
相談者の話には、嫁姑の間に横たわる感情論が深く絡んでいて、「物を捨てるか否か、家を建て替えるか否か」は、本当の問題ではないようでした。
それまでひと言もしゃべらずに黙って聞いていた息子さんが、
「僕らは何も、あるもの全部を捨てろと行っているわけではない。お母さんが本当に大事だと思う物はとっておけばいい。物を大事にするということは、ただとっておけばいいということではなく、たまにはきれいに拭いてやったり、使える物は使ってやったりしなくては意味がない。僕らが全部建て替えるか別居するかという極端なことを言ったのは、お母さんにそれを分かってほしかったからだ」
と、静かに言いました。
その時、はじめてお母さんは、お嫁さんへの不満や、今までの考えから離れて、自分にとって何が大事なのか、どうしなくてはいけないのか、ということを悟ったようでした。
「物を捨てるか捨てないか」、こんな些細なことでも長い間に自分が決めた習慣を変えるのは非常に大変なことです。それでも変えることを恐れず、とにかく一回試してみることができれば、人生は意外にスムーズに進むものです。
今までの人生で、あなたが「習慣を変えて良かった」と思ったことはないでしょうか。
そしてそのきっかけは何でしょうか。
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