30年以上、何万何千という方々の人生相談に応じる中で、前世と現世がどのように関係しているのか、過去のカルマが今の人生にどのような影を落しているのか、本人がそれに気づけないのはどうしてか、等々について、神からその原因と結果を目の当たりに見せていただきながら、私なりにカルマの法則について理解を深めてきました。
そこではっきり申し上げられることは、「誰もが前世の悪しきカルマという罪汚れがあるからこそ、また生まれ変わって、今、この世に存在している」ということです。
たとえ前世の記憶がなくても、現世の行いの中に、悪しきカルマの種は確実に潜んでいます。
だから、過去世はどうあれ、現在のその人の人生、生き方の中に、欠点や至らなさが現れるのです。そのカルマの種を自分の手で掴み取らない限り、何度でも芽を出し、そのたびに不調和や不幸に見舞われます。
反対に、今回の人生でそのカルマの種を取り除くことができるならば、その瞬間から人生が好転し始め、周囲の人たちとも調和することができ、魂が幸福感を得て、一歩階段を上がるがごとく、より幸せな来世を迎えることができるのです。
ところが、気づかなくてはいけないことに気づけないところにカルマの根深さがあり、たとえ頭では自分の欠点に気づいていたとしても、それを直せない人もいるのもまた事実です。
「よくないのはわかってはいるけれど、やめられない」「そのときには自分の欠点や非を認めても、また同じことをくり返してしまう……」、そんなふうに嘆く人が何と多いことか……。
性格上の欠点が人間関係を悪化させ、結果的に不幸を招くことがわかっていながらも、同じカルマをくり返してします、同じ行動を取らせるのはなぜだろう?
もしかしたら、生まれた年月と何かしら関連があるんだろうかと思って、あるとき、参考までに九星気学という占いの本を読んでみたことがありました。
すると、私がそれまで相談に応じてきた方々の生まれた月と性格の傾向とも一致する点が多く、占いも一つの統計学として、共通する性格的な傾向をいくつかにグループ分けしているように感じました。
長年の記録と観察によって私がまとめた「気づき暦」は、占いではありませんが、私が拝殿で相談をお受けしている時、相談者と神との間で知り得たもので、これを一冊に著したものが『幸せをつかむ気づき暦』(小学館刊)です。生まれた時期により、ひとつの傾向として、自分はどんな性格で、どのような長所や短所があるのかを知ることは、自分の欠点を直す上でもたいへん大切なことです。
これも知識です。
自分の性格を棚に上げたまま、欠点を持ったままでこの世を去ると、また来世に持ちこされて、三倍返しの困難な人生を送るはめになるといいましたが、それは、これまでの私の経験上、良いカルマも悪いカルマも三倍になって返ってくるという現実を、数多くの相談者の方々の人生を通していやというほど見せられたからです。
そして、現世の行いがまた「原因」となって、来世に「結果」として現れるであろうことも……。
その苦しみが、たとえ自分のせいとは思えないようなことであっても、あるいはまた、どんな悲惨な状況や出来事(事故や事件、災害など)であったとしても、カルマという共通の「原因」、つながりがあるからこそ、その「結果」が現実として自分の前に現れている、避けがたい人生の壁、すなわち、「カルマの壁」としてそこに立ちふさがっているのです。
いくら自分が望んでいないことであっても、そこに共通するカルマ、前世の宿題があれば、必ず縁ある場所で、縁ある人と出会い、縁ある出来事を通して、その人にとって越え難い壁にぶつかって、苦しみをともなう体験を強いられることになります。
人は誰でも、苦しみを体験しているときほど、自らの欠点、不足が表に現れやすくなり、それゆえ、その人の心の真価が問われるからです。
いいかえれば、恵まれた状態や平穏なときには見えなかった、心の汚れを浮き彫りにするのが人生の壁ということです。
たとえば、川や海がおだやかなときには、水の中にある汚れ(不純物)は目立たなくても、いざ台風などで大きな波風がたったら、水の中がかき回されて、汚れが水面に舞いあがってくるようすとよく似ています。
つまり、困難な状況に見舞われたときほど、自分の中の欠点や不足が浮かび上がってきやすくなり、それゆえ、心して自分の中(心のあり方や性格)や、足下(日頃の言動や人との接し方、生活態度など)を省みることができれば、その汚れに気づくことができるのです。
「苦しいときこそ、気づきのチャンス」というのはそのような意味です。
だからこそ、一人でも多くの人に、現世において、「カルマの壁」を越えるために、悪いカルマの連鎖を断ち切るために、自らの欠点や至らなさに気づいていただきたいのです。
カルマの壁を乗り越えるためには、何か問題が起きたり、トラブルが生じたときほど、そこでただ感情に振り回されたり、不平や不満をいうのではなく、「これも自らのカルマ、運命であるがゆえに起きたことかもしれない」と起きてしまった事実を受け入れ、自分の心を磨く機会として、自らのスピリットの成長につなげるには何が必要か、という前向きな心がまえを持つことがとても大切です。
このように、思いがけない不幸や災難に見舞われたときこそ、自分自身の足下をしっかりと見て、己の心の不足を改めることによって、その壁を越えていく、これが「心の修行」です。
相談者の中には、そのように気づいて直すことによって、「不幸」を「幸福」に変えていった人たちがたくさん増えています。
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