青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

カルマは自分でしか解消できない

悪いカルマは、自分以外の誰かから教えられたり、指摘されたりしても、素直にそれを認めようとはしない、とても頑なな心のクセ、性格の歪み、短所です。

 

それは、身も心も悪いカルマに慣れきってしまって、「住めば都」ならぬ「住めばより居心地のよい自分のカルマ」としか考えなくなるためです。

 

いくら要領良く生きている人や、表面的に「良い人」を演じていたとしても、自己中心的で人を見下す心があったり、優越感や傲慢さを隠し持っていたり、あるいはまた、何かあると原因を他人のせいにして、自分は正しいと思い込んでいたり、人を許すことができなかったり、感謝の心や謙虚さがなければ、心は汚れたままなのです。

 

まったく悪いカルマ、欠点がない人はおらず、多かれ少なかれ誰もが心の汚れ、罪を背負っているからこそ、この世に生まれてきているのです。

 

それゆえ、たとえどんな荒行をしたとしても、またどんな能力者や占い師のいうことに耳をかして従順に従ったり、どんなに熱心に神仏を拝み、崇めようとも、自分のカルマは自分で刈り取るしかありません。

 

自らの欠点、不足は、決して誰かが穴埋めしてくれたり、自然に消えてなくなるものではなく、あくまでも自分自身で気づいて直していくしかないのです。

 

これが、「善因善果、悪因悪果」といわれるゆえんです。

 

自分の欠点、不足に気づいて直さなければ、同じ人生の中で何度も同じような困難な状況が訪れるか、来世に持ち越されるだけです。

 

しかも、来世に持ち越されたカルマは、「三倍返し」といえるほど人生に重くのしかかり、それだけ気づいて直すのが難しくなってしまう、ということを脳裏にインプットしておいてほしいものです。

 

家族や友人、親しい仲間たちは、魂の修行仲間として、お互いに自分のカルマに気づくための「鏡」となるために現世において縁を結びます。

 

つまり、前世カルマの縁があるからこそ磁石が引きあうようにして出会い、深いつながりが生まれるのであって、まったく縁がない人とはこの世において出会うことはありません。

 

その関係は、同じカルマを共有するがゆえにもつれた糸のようでもあり、ちょっとしたことでも喜怒哀楽の感情やお互いの欠点が出やすくなって、何か問題やトラブルが起きると、つい相手のせいにしがちです。

 

しかし、そこで原因を相手に求めるのではなく、いかに自分自身の欠点、不足を見つめられるかが人生の大きな別れ道です。そのためにこそ、その人と縁を結んでいるのです。

 

ところが、自分のことを棚に上げて、相手を見下してしまうところにカルマの落とし穴があります。

 

たとえば、夫婦の場合、相手の親や親類などに対して、何か自分の気に入らないことや理解できないことがあると、夫にしても、妻にしても、「お前の親はダメだな」「あなたの親戚はおかしいわね」などと非難したり、見下すことがあります。

 

それが、食事のマナーから親類縁者とのつきあい、冠婚葬祭のやり方などといった、それぞれの家庭環境やしきたりの違いであっても、「自分が正しい、相手がおかしい」などと決めつけてしまうのです。

 

自分の親と同じように、結婚相手の親や親類縁者ともカルマを共有しているがゆえに縁を結んでいるにもかかわらず、自分や自分の家族のことは棚にあげて、相手の親や家族を一方的に非難したり、見下すのは、まさにカルマの落とし穴にはまってしまっているのです。

 

夫婦とはいえ、もとは他人同士です。いくら親しい間柄であっても、相手を尊重する気持ちを持たなければ、うまくいくはずはありません。

 

夫婦の間にすれ違いを感じたならば、お互いに、見栄やプライド、嫉妬や敵対心といった邪心を捨てて、いかに自分のいたらない点をしっかりと見つめることができるか、相手を許すことができるかがとても大事で、それができれば必ず相手と調和し、人生は幸せへと向います。

 

そのように、お互いに気づきあえる関係は、「良縁」となって、さらなる幸せを呼び、スピリットの成長につながります。

 

反対に、非難しあったり、対立したままの関係は、「悪縁」となって、不幸を招き入れ、スピリットを曇らせて、悪いカルマを上塗りしてしまいます。

 

この世で運命的に出会った相手との縁を、どのように良縁につなげていくか?

 

それも、あなた自身の気づきによるものです。

 

なぜ、人は生まれ変わるのか?

 

それは、スピリットの汚れをきれいにして、磨いていくためです。

 

悪しきカルマゆえの「転生」と、そのカルマを解消するための「気づき」は切っても切れない関係で、表裏一体である、ということです。

 

ですので、カルマの汚れは、自分自身で気づいて、直していくしかないのです。

 

とはいえ、それがそう簡単にできないところにカルマの難しさがあります。

 

よほど、「人生はスピリットを磨く修行である」という自覚と覚悟を持って自分自身と向き合わなければ、何度も同じ過ちをくり返してしまう困難さがあるのがカルマだからです。

 

 

 

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