青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

ふたつの真理

この世にはふたつの真理があります。

 

ひとつは、誰もが生まれた瞬間から必ず死に向かって進んでいるということ。寿命の長さには差がありますが、誰もが自分に与えられた寿命をまっとうし、現世での修行を終え旅立っていくことになっています。

 

寿命に関して神の観点から一つ申し上げれば、長生きをしたから幸せだ、ということはありません。

 

どんな場合でも、その人が死の世界の旅立って行ったなら、現世でするべき務めを立派に終えたということなのです。

 

病気で長いこと苦しんだ末にお亡くなりになったり、朝まで元気だった小さな子供が事故でこの世を去ったり、どんな場合でも近しい人が亡くなるのは遺された側にとっては辛いものです。

 

しかしその悲しみは、遺された方には大変酷な表現ですが、「遺された者の感情」であって、決して「死んでいった人が遺していった感情」ではありません。

 

人間は輪廻転生を繰り返しています。ですから、前世で自らが行ったことが現世に大きな影響を及ぼしていて、自分の力ではどうしようもないことも起こりえるのです。

 

そしてもうひとつは、どんな人でも、この世の中に生を受けたということは「誰かの子供」であるということです。

 

兄弟がいない、従姉や親類と呼べるような血の繋がりを持った人もいない、子供を持たずに年老いた場合でも、「両親」が存在しなかったということはあり得ません。

 

生まれてすぐに何らかの理由で実の両親と生き別れ、一度も生みの親に会ったことがないという人にも、必ず自分を生んでくれた母親があります。

 

それは、あなたが命の繋がりの中に存在しているということを示していて、それ自体がカルマの一つでもあるのです。カルマの繋がりが自分に合う(自分の前世の行いに合うカルマを求めて)母親のお腹に入るわけです。

 

あなたが、たとえ今どんなに孤独であったとしても、命の繋がりによって生を受けた以上、人とまったく繋がらずに生きていくことは出来ません。

 

このブログを選び読んでくださっているのも、私とあなたの間に目には見えない繋がりが何かしらあったからです。

 

私のもとに、「生き別れた母親に会いたいのだが、迷惑がかかっては困る。現在、母は存命なのか、また会うことはできるのかを視てほしい」と、高校教師をしているという若い男性が訊ねてきました。

 

六歳の頃、祖母の家に預けられたまま実母とは音信不通になっていたのですが、一昨年、祖母が亡くなった際に母の当時の住所とともに、母が知らない男性と一緒に写った写真が出てきたとのこと。

 

彼の言葉からは母に対する恨みや邪心は感じられず、ただただ、心の底から母に会いたいと思う愛情があふれていました。

 

ところが残念なことに、私に視えたのは母親の死の知らせです。ほんの少し前に不慮の事故で母親が亡くなったことを伝えました。「残念ですが、これで諦めもつきました。祖母の墓前には自分から報告します」と、悲しみに堪えながら自分を納得させ帰っていく彼の背中を見ながら、「きっと、近々『縁』を感じる出会いがありますよ」と、私は神から聞いていた言葉を彼に伝えました。

 

それからしばらく経ったある日、その相談者の男性から一通の手紙が届きました。その手紙には、彼の高校に季節外れの転校生がやってきたこと、その生徒に母の面影を見たこと、そして調べてみると、その生徒こそが父親の違う実の弟であったことが分かったとのうれしい知らせでした。

 

両親の子供としての自分、社会人としての自分、父母としての自分、ご近所付き合いにおける自分、友達としての自分など、人との繋がりの中で、あなたは無意識に日々、一刻一刻、さまざまな役割をこなしているのです。その時々によって、自分の顔を使い分け、ある立場を担っているときにどんな振る舞いをしなければならないか、そして今そうしているか、それをもう一度考えてみましょう。

 

人と人との繋がりは、一つの枠組みで片付けられるほど単純なものではありません。たとえば、夫と妻という例で考えてみると、ひと言で夫婦といっても純粋な男女としての繋がりが強調されることもあるでしょうし、あるときは社会の中での一つの単位として役割を果たさなければならないこともあるでしょう。子供ができれば父と母としての繋がりも出てくるでしょうし、一つの家の中で生活をともにする、共同生活者としての礼儀を持たなくてはいけない瞬間もあります。『家族だから何でも分かってくれるだろう』という思い込みから、自分と相手の距離を見間違うことは、大変に不幸なことです。

 

会社で上司として役割を担っているならば、そこでは部下に対して、仕事上の厳しさを教えなくてはいけないこともあるでしょう。しかし、いったん仕事という枠組みを外せば、同じ部下に対しても、人生の先輩として優しく相談に乗ってあげることも出来るかもしれません。

 

同じ人間との関係でも、時と場合によって、その役割や立場は変化するのだということを理解している人は、自分の気持ちを柔軟に相手に寄り添わせていくことが出来るので、人間関係で大きなトラブルを抱えることがありません。

 

 

 

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