情けは人のためならず
袖振り合うも多生の縁
どちらの諺も、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
他人との関係性を表すこれらの諺は、よく耳にする割には非常に誤用されることが多いようです。
「情けは人のためならず」は、「誰かに情けをかけるのはその人のためにならないので、しないほうがよい」というような意味に捉えている方もいらっしゃるようですが、それは誤用で、本来は「誰かに情けをかけることは、それだけ功徳を積むことであり、回り回っていつの日か自分のためにもなる」という意味です。
「袖振り合うも多生の縁」は、どうも「多生」という言葉が一般的でないためか、「多少」と間違えられ、「道で行きあって袖がふれあうのも、ちょっとした縁だ」というような意味に考えられているようです。
しかし、その「多生」という言葉は、前世でもつながりのある因縁のことを指します。ですから本来、この言葉の持つ意味は、人との出会いや物事との巡り合わせはすべて偶然ではない。前世からの流れがあるからこそ、袖がふれあうこの瞬間があり、その運命を辿っているのだという考えのもとに作られたのだろうと思います。
ほかにも人との関係性をもとに作られた諺はたくさんありますが、ここでは「類は共を呼ぶ」という言葉から、自分の「縁」を考えてみましょう。
この諺は、「似たような趣向の者は、自然に寄り集まるものである」という意味ですが、あなたの仲良くしている友人や仲間は、人間として信頼の置ける人でしょうか。
あるとき、若い女性が拝殿を訪れました。
「会社の同期の女性は上司に贔屓されていて、いい仕事はみんな彼女がとってしまいます。出身大学も私は国立大学ですが、彼女は二流私立です。容姿も私の方が綺麗だし、仕事に対しても、彼女は贔屓されているので残業しなくてもさっさと出来るような仕事を割り振られているのです。こんなに頑張っている私が割を食っているのは不公平だと思うので、どうすれば彼女より私の方が仕事が出来ることを上司に分かってもらえるか知りたい」ということを息を継ぐ暇もなく話されました。話に終わりがなく、あまりに長いので、私が止めようとすると、それも遮って自分の思いを語り続けるのです。
前にも申し上げましたが、私はスピリチュアル・カウンセラーではありませんから、相談者の方々の悩み事を細かくは聞きません。神が視せてくださることをお伝えするのが仕事ですから、詳しく聞く必要がないのです。
一方、透視能力がない場合は、相談者から、悩みの内容をできるだけ詳しく聞いて、そのうえで解決策を考える必要があるので、面談には長い時間を要します。
この区別を理解せずに拝殿を訪れて、「相談時間が短すぎる」と不満を持ってお帰りになる方がいらっしゃいますが、それは大きな誤解です。
なかには「相談時間がこんなに短いんだったら、ご祈祷料もいらないだろう」と、私の透視能力に価値はないとおっしゃった方もいらっしゃいます。そんなとき、相談にいらっしゃる方の幸せを願って毎日、神と対話している私はとても寂しい気持ちになります。
私は透視能力者であって、スピリチュアル・カウンセラーではありません。
さて、先ほどの女性の方のお話に戻りましょう。
この女性も、あまりにもご自分のことをお話しになるので、私をスピリチュアル・カウンセラーと混同しているのだろうな、と思いつつも、縁あってせっかく拝殿を訪れてくださったのですから、相談者が新しい気づきを得ることができるように、相談者の言葉が途切れるのを待って、私は神にお尋ねしてみました。
そうすると、彼女の「自分は出来るんだ」という気持ちだけが空回りし、仕事場にいる時間は長いのですが、顧客のことをちっとも考えていない営業をして、まったく成績が伸びていない様子が窺えました。逆に同僚の女性は、「お客さまの身になって考える」「上司の気持ちを慮る」という、相手のことを第一に考える姿勢を貫き、周りの人々の信頼を得ています。
相談者の女性は苛立ちが募り、我がままを言うだけで他の女性社員たちとも仲良くできず、その上、同僚の大切な書類を隠しているシーンも視えました。
私は、まず最初に神が視せてくださったことを話し、「今のままではいつまでたってもあなたの成績は伸びない、長く働いても周囲のことをまったく考えないのでは助けてもらえない、同僚の女性を妬んで悪口を言ったり書類を隠したりしても、罪は増えこそすれ、自分自身にプラスになることはない。でも、逆に、これらをあなたが直したなら、あなたが仕事に対して持っている素晴らしい情熱と相まって、誰もがあなたを信頼するようになるでしょう」と伝えました。
まさか私が、相談者が書類を隠したことまで言うとは思っていなかったのでしょう。最初は私の話を怒気をはらんだ顔で聞いていた相談者も、そのことを指摘すると、顔色をなくし黙り込んでしまいました。そして「彼女のようになりたくて努力したつもりが、そうできないので、彼女を引きずり下ろしたかったんです」と言い、涙をボロボロボロボロこぼしました。
私は、その涙を見て、思わず彼女を抱きしめたいような情にかられ、「苦しかったんでしょうね。あなたはこれまで気づけなかったがために、どれだけ苦しんで、この地までやってきたのかと思うと、本当に心が痛みます」と言いました。
彼女の涙は、自分の醜い本心を恥じ、苦しさと情けなさから自然と出てきたものだったのでしょう。私は、彼女が新しい気づきを得たことが分かり、とても喜ばしいことだと感じました、
「ようやく理解できて良かったわね。あなたの心の底にある優しさが気づかせてくれたのね。ここからもう一度やり直してみて。きっとうまくいくわよ」と言うと、彼女はこぼれる涙をぬぐいながら、ゆっくりと頷きました。
誰かのことを羨ましいと思うことは、自分を成長させるチャンスです。
あなたの周りにいる「自分もこうなりたい」と思える人と、何故そうなりたいのか、その理由を考えてみましょう。
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