自分の欠点に気づき、直そうと努力しているときこそ、魔の誘惑というのはやってくるものです。
ある男性は、約10年前に職場で人間関係を壊してしまい、大多数の女性から距離をとられてしまったそうです。
世間知らずだった自分に気づき、每日、自分と対話しながら過ごしていったかいがあり、今では周りと仲良くできるようになり、普通の職場生活を送れるようになったと言います。
ただ、彼の場合〝嫌われないように〟〝自分の存在を消す〟というやり方をしていたため、今ではうまく話せず、自分の意見、意思を表に出せなくなってしまいました。
彼は、過去に職場での人間関係を自らの落ち度によって壊してしまいましたが、自分の落ち度に気づくことによって、今では過去に壊した関係を修復できました。
しかし、実はただひとりの女性とだけ、いまだに関係を修復できていません。彼女は、当時と変わらないままに、彼のことを嫌っています。
彼女はきまじめで頑固な方。それゆえ、彼の過去の過ちをいまだに許すことができないのでしょう。また、彼女は、彼がどのような気持ちで、この10年間を過ごしてきたのかがわかっているのかもしれません。
彼は、人間関係を修復することはできたのですが、そのやり方がよくなかったために、結果としては、自分を押し殺すようなことを10年間も続けてきたことになります。
それが原因で、今は人と話をしていても本音を語ることができず、当たり障りのない会話しかできないと悩んでいます。
彼は、必死で自分の欠点を人に〝見せないように〟努力しました。結果的に、ほとんどの女性と関係性を修復することもできました。そのことは、とても素晴らしいこと。自分に自信を持っていいことです。
ただし、やり方が少し間違っていたため、〝自分を出せない〟という新たな問題が生まれてきてしまいました。
過去に戻ってやり方から直すことができればいいのですが、それは叶いません。そうなのであれば、今度は正しいやり方で日々を暮らしていくのが、いちばんの近道、前進になります。
気づきというのは、性格の欠点を直すということがその核となります。性格を変えるというのはどういうことかというと、〝考え方を変える〟〝新しい価値観を取り入れる〟ということです。これをしないことには、性格は変わりません。
彼は、この根本を変えずに、〝自分自身を隠す〟ということをしてしまいました。
自分自身を人に見せないようにするというのは、〝自我〟を上から抑えこむ形になってしまうため、〝自分〟の行き場がなくなってしまいます。
性格の欠点というのは、人前で出ないように隠すだけでは根本的に直ったことにはならず、考え方を変えて欠点そのものをいいほうに変えなければいけません。
考え方を変えれば表現(言動)が変わります。表現が変われば人間関係が変わります。人間関係が変われば環境が変わります。素敵な環境には素敵な人が集まります。
このようによい循環を作るには、正しい考え方を〝身につけなければいけない〟のですが、彼はこれが足りなかったのです。もちろん、自分の落ち度を受け止め、性格を直そうと努力したのは素晴らしいのですが、知識不足のためにやり方が間違っていました。しかし、彼のように落ち度を受け止め、改善しようと努力できる人は、必ず前に進んでいくことができます。
自分の性格の欠点というのはなかなか自分ではわからないもので、彼のように人と亀裂ができてしまったときに、初めて気づく場合が多いように思います。ただし、多くの人はまさか自分の性格に欠点があって、それによって人間関係にヒビが入ってしまったとは、夢にも思いません。「悪いのは相手。自分は悪くない」という自己防衛の思い込みが先行してしまい、自分の内面に目を向けることができないのです。
人間関係は、深い絆を築くためには時間がかかりますが、その絆を壊すのは一瞬です。自分の言葉ひとつで、それまで大切に築き上げてきた関係性が水の泡となってしまいます。
人間関係は一度壊れてしまうと、修復するのに大変な労力と時間が必要になります。彼の場合、社内の女性たちの関係を修復するのに約10年間もかかり、いまだひとりの女性からは受け入れられていません。
さらには、やり方を間違ったために、今度は自分をどう表現すればいいのかがわからなくなってしまいました。
性格の欠点というのは、さまざまな問題を引き起こします。彼のように職場の人間関係を壊してしまえば、仕事に支障をきたしてしまうでしょう。仕事とは人間と人間がするものですから、コミュニケーションを欠かすことはできません。
彼は今後、〝自分〟という存在を隠すのではなく、〝自分〟を表現していくことを覚えていく必要があります。
彼と同じように、「自分というものをどう表現したらいいのかがわかりません。人から嫌われるのが怖いんです」と相談にいらっしゃる方はたくさんいます。こうした方々に共通しているのは、〝人間恐怖症〟になっているということです。
なぜ、こうしたことが起きるかというと、過去の人間関係の失敗がトラウマとなり、相手との間に壁を作ることで人間関係を希薄にし、コミュニケーションによって傷つくこと、相手を傷つけることを必要以上に避けようとするからです。
この世に存在している以上、みな何かしらのカルマを背負って生きているわけですが、人間はそのカルマを解消するためにこの世を生きます。
カルマを作り出すのは、ほかでもない私たちひとりひとりの〝生き方〟です。悪行は悪いカルマを増やし、善行はよいカルマを増やします。つまり、「どのように人生を生きるか?」ということが、よいカルマを増やすのか、それとも悪いカルマを増やしてしまうのか、そこに直結するのです。
「どのように人生を生きるか?」というのは、人それぞれ違うものですが、その違いは〝考え方の違い〟です。人それぞれの〝考え方〟というのは、幼児期の親の接し方(教育)、家庭環境、自分の体験などが築き上げていくものです。長い年月をかけて築き上げていくため、どんなに間違っているやり方だと自覚していても、意固地になって考え方を変えられないということが往々にして起こります。
しかし、彼のように一度気づくことができた人は、何度も何度も繰り返しさまざまなことに気づいていくことができます。「気づきとはどういうことか?」というのを自分自身で学ぶため、実感として「気づき」の素晴らしさに〝気づく〟ことができるのです。
彼は過去の失敗によって自分の性格を信用できなくなり、それを隠しました。自分のことを信用できないと、相手のことも信用できなくなります。お互いのことを理解し合うための会話を避けて無難な会話ばかりするために、つき合いは長くても相手のことをよくわかっていないため、それが不信につながるのです。
人間は、わからないものを必要以上に恐れてしまうものですが、その〝恐れ〟というものは、〝わからないもの〟の実体を知っていくことによって軽減されていき、やがて恐れはなくなります。
人間関係もこういうことです。初対面の人とうまく話せなかったり、疑う気持ちがどこかにあったりするのは、相手のことを知らないからです。しかし、つき合っていくうちに相手のことを知っていけば、相手への警戒心は消え、代わりに〝信頼〟が育っていきます。
しかし、ただ人とつき合っていれば〝信頼〟が育っていくかというと、そうではありません。うわべのつき合いだけで、お互いの考え方を理解し合うようなコミュニケーションをとらなければ、いつまでたっても〝信頼〟は育っていきません。
彼は、自分のことが信頼できていないので、まずは自分を信頼するところから始める必要があります。そのためには、さまざまな知識を蓄え、考え方を変えることです。
自分自身を信頼するかどうかというのは、〝誰か〟が決めるものではなく、自分自身が決めるものです。ですから、〝自らの経験〟でしか、自分への信頼度を上げていくことはできません。
つまり、人間関係で彼は失敗しているので、それを乗り越えるためには、〝考え方を変えた自分〟で〝新しい人間関係〟を構築していき、その中で深いコミュニケーションをとって、自分への信頼を取り戻していくのです。人間関係で失ったものは、人間関係でしか取り戻すことはできません。
自分のことをひた隠しにするようなコミュニケーションをとっていると、仕事もうまくいかないのではないでしょうか。相手との信頼関係を築くことができませんから、そういう関係性では大きな仕事を成し遂げることはできません。
お互いに信頼を築いていくことは、幸せを築いていくことと同じなのかもしれません。豊かな人間関係は、人生を豊かにしてくれるのですから。
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