多くの親御さんは、子供には「有名大学に入学して、一流企業に入社してほしい」と望んでいると思います。そのために、幼稚園や小学校など早い段階から〝お受験〟をされる方は少なくありません。
ある女性の方は、自分の周りの人たちの多くがお受験に関心があり、かく言う自分もそのひとりだと言います。しかし、彼女の弟さんは両親から過度の期待をかけられ、有名進学校まで進み、心を病んでしまいました。
彼女は、そんな弟さんを間近で見ていたため、自分の子供たちは自然の中でのびのびと育てたいなと思っているのですが、周囲のお受験に対する関心度を目の当たりにすると、果たして自分のやり方で自分たちの子供は大丈夫なのかと思うときがあると言います。
子供を持つ親ならば、子供の進路を気にするのは親として当然の気持ちだと思います。問題になるのは、その気持ちが親のエゴになってしまい、子どものプレッシャーになってしまったときです。
彼女の弟さんは学生のときに親のプレッシャーに押しつぶされてから、非常に苦労したのではないでしょうか。子供というのは、親が思う以上に親のことを考えていますから、「親の期待に応えたい」「親の期待を裏切らないようにしよう」と思うあまり、それに結果が伴ってこないと思いつめ、心を病んでしまうことがあります。
日本の社会では、〝学歴〟というものがかなり重要視されてしまいます。一部上場企業に入社するとなれば、偏差値の低い無名大学より、偏差値の高い有名大学に入学したほうが就職試験に合格できる確率は上がるでしょう。
ですから、親としては家庭教師を雇ったり、有名進学塾に行かせたり、学業に対して非常に熱心になるのも当然のことだと思います。
学歴というのは、学業の履歴です。つまり、どれだけ勉強してきたか、そしてその理解度が高いか低いか、というモノサシです。ですから、企業側とすれば、限られた期間で学生を採用しなければいけないため、人間性や考え方などの本質的な部分に関しては、そこまで深く見ることができません。そうすると、わかりやすい指標である学歴で採用しておいたほうが、優秀な人材を獲得できると考えるわけです。
しかし、大切なのはその〝本質〟の部分なのです。
優秀な学歴で、大手企業の社員になったとしても、人間関係に適応できなかったり、勉強はできたのに仕事はまったくできなかったり、そういうことはいくらでもあります。
なぜなら、勉学に注力するあまり、人間性や考え方という人間の本質的な部分の成長を疎かにしてしまい、結果、コミュニケーションが人とうまくとれなかったり、〝自ら考える力〟が育っていなかったために仕事ができなかったりしてしまうのです。
真の教育というものをどれかひとつに絞ることはできませんが、右のようなことを考えますと、人間の基礎となる情緒や感受性、道徳心や物事の道理を学ぶことも非常に重要なことなのだと思います。
学歴というのは〝受験〟がありますから、誰もが客観的に今の学業レベルを判断することができます。
しかし、かたや人間性というのは、受験をして自分の力を試すことができません。うまくできる人は友人もたくさんいて、仕事も楽しく働くことができるでしょう。しかし、人間性のために人とのコミュニケーションがうまく取れない人だと、いらぬ諍いを起こしたり、友人が離れていったり、果てはわが子との関係にも亀裂が入ってしまう……。人間の本質の欠如というのは、こういった不幸を作り出してしまう危険性があるのです。
ここで私がお伝えしたいのは、子供の将来を考えるのと、教育というのは違うのだということです。
そのように考えますと、学業というのはあくまで人間が行うひとつの活動ですから、〝勉強をさせること〟それ自体が教育なのではなく、〝勉強を自ら進んでやれる心〟〝自ら必要だと思える心〟を育ててあげることが教育なのではないでしょうか。
教育の基本としては、著書などでも述べていますが、口うるさく言わずに、きちんと話して教え諭すことが必要です。「〜しなさい!」とか「なんでできないの!」といったような言葉では、子供の心には響きづらいと思いますし、子供も怒られるのは嫌ですから、表面的には親の言うことを聞いておこうといったような、とりあえずその場を取り繕う姿勢になってしまい、人生を学ぶことが難しくなってしまうように思います。
親は子供より人生を長く生きていて経験も豊富にあります。まさに、〝人生の先輩〟といえるでしょう。ですから、親は経験から物事を判断して良し悪しを決めることができますが、子供というのは成長途中ですからわからなくて当然です。ですから、親はその自分の経験を人生の先輩として話してあげる必要があるのです。
人生の先輩としての経験談や物事の道理など、そうしたことを教えてあげることこそが、その子の将来につながる財産になるのだと思います。まだまだ子供だからと思わずに、幼児のときから教え諭す教育をしっかりとしていけば、その子は自ずとよい人間性を育んでいくことができるでしょう。
有名大学に入るとか、大手企業に入るといったようなことは、人生の中でのひとつの大切な目的ですが、人生そのものの目的ではありません。人生の真の目的というのは、カルマの解消。自分の欠点に気づき、努力して直していくことこそ、真の目的なのです。それは、言い換えれば素晴らしい人間性、魂を育んでいくということです。
ただし、人間性だけよければそれでよいかと言いますと、先ほども述べましたが、社会の中で学歴が求められるのも現実です。ですから、「学業か人間性か」というようにどちらか一方だけではなく、その両方が共存していくことが大切なのだと思います。
そのためには、学業だけではなく、人間性を育てるために教え諭す教育をしてあげること。読書の素晴らしさを教えてあげたり、いろんな経験をさせ、どう思ったのかとか、何を感じたのかとか、そうした感性を引き出してあげること。こうしたことが、教育をするうえでは重要なのではないかと思います。
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