人生において、男性の中には、長く連れ添った女性に対していつの間にか甘えが出てしまい、その甘えがわがままとして出たり、あるいは、時に自分の方が悪いと思い、相手に感謝をしていても、それを口に出すことが苦手な方も多くいるようです。
特に日本の男性の多くは、シャイと言うよりも、パートナーの女性に対して母親のような包容力を求めてしまう傾向があるようです。
これは男女の脳の構造の違いだけでなく、本当は夫も妻と同じように家庭を大切に考えているのに、家庭の中でどのように行動したら妻や子どもとうまく交流できるかその仕方がよくわからない場合もあって、家庭での知識が不足しているがゆえに、協力できないでいることも少なからずあるのではないでしょうか?
結婚当初から、女性(妻)の側から、素直にものごとを頼んでみれば、男性(夫)側もその必要性を考慮して、いろいろ協力しあえるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
結婚後、「家庭の主人」「台所の主」的存在に妻がなってしまうと、料理、掃除など家事全般の訓練を積み重ねる中、夫が何の手伝いもせずに過ごせば、早晩、「家では何もできない夫」になってしまいます。
また、反対に妻の側も例えば家計のことなどに関して、夫から言われるままにやっているだけならば、同様です。
実際、そのようなケースをたくさん見聞きします。
昔、亭主関白の夫が、妻に生活費の中の食費だけを渡して、「一日これだけ」でと、やりくりさせ、長年の結婚生活の中で妻はお金の蓄えはもちろん、五十歳になっても生活上のことで頭を働かせるアイデアは持てず、ものごとの知識や意欲もないまま年を重ね、「もののわからない人」になってしまったと聞いたことがあります。
日頃、お互いに何でもできるように結婚当初から協力しあい、教えあっていかないと、いざ妻が病気をしたり、忙しくて世話ができないと、ただソワソワするだけで、妻にとっては余計なストレスの原因をつくりだしてしまうことになりかねません。
夫婦として暮らす私たちは、一人の人間対人間、そこには節度のある交流が必要です。
男性にとっても、女性にとっても、「ありがとう」「助かる」「嬉しい」などの心からの一言は、何よりの癒やしや励みになると思います。
夫婦として長く連れ添っている場合、お互いに気をつけなくてはならないのは、慣れあいゆえにわがままになってしまうこと。
とりわけ、二人の関係がうまくいっていると、「いつまでも同じ状態が続く」と思って安心してしまうことがありますが、実際には、夫婦間の愛の形も年齢を重ねるにしたがって変わってきます。
若い頃は、二人だけの恋愛感情の延長。
やがて、子どもが生まれて家族が増えると、当然、恋愛気分のままではいかなくなります。
妻は子どもにかかりっきりになる。すると、夫は、妻にかまってもらえないとすねたり、子どもに対して嫉妬をするケースさえあります。
私たち人間は誰しも老後を迎え、やがて、旅立つ日が訪れます。これを念頭において、夫婦共々、家族の歴史を刻んでいく中で、子どもに対して慈しみの心を養っていく必要があります。
子どもが成長するに従って、「一人の人間」として自分のことを自覚しつつ暮らしていかなければ、子離れできずに、子どもの心の負担となる「重荷」になるおそれがあるのではないかと思います。
子どもは大人になるにしたがって、当然職場での人間関係やつき合いも多くなります。親が余計な口出しをし過ぎて、いつまでも「わが子だから」と「自分の所有物」扱いではなく、陰で見守りながらここぞという時にだけ人生の先輩としてアドバイスをしてあげるのが大切ではないでしょうか。
要するに、わが子の成長を「大人になった」と喜んでも、親自体が、「子どもが自立したことをしっかりと認識することが大切」であり、それができないと、いつまでも自分の子どもとして注意する「口うるさい親」で終わってしまうおそれがあるということです。
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