運命のシナリオにそって生きる中で、魂を浄化することがこの世で生きる意味です。
それは、置かれた場所で自分自身の心を磨きながら一所懸命に生きることです。
草花は、人間と違って、「ここは条件がよくない」「こんな場所では咲けない」「あちらの場所がうらやましい……」などと不平・不満をいうことはありません。
まさに置かれた場所で咲いています。
同じように、野生動物も自分が置かれた場所で一所懸命に生きています。
わが家の換気扇の外側にもツバメが巣をつくっているのですが、ツバメの子供は親がエサを運んで来てくれるのを待っています。
それを知らずにうっかり換気扇を回そうとしたら、家族が「外にツバメがいるから」と止めてくれて、それ以来、わが家では換気扇を回さずに過ごしています。
それでも、猫がツバメたちの様子をじっとうかがいながら見ていますが……。
どうしてこんな場所に? と思う一方で、彼らもまた置かれた場所で咲いているんだなと、感心させられます。
もちろん、私たち人間にも彼らと同じ生命力が備わっています。
置かれた場所で生き抜くだけの底力が、誰の心の中にもあるのです。
では、人が置かれた場所で咲くとはどういうことか?
それは、今いる場所で一所懸命に励む、自分に与えられた課題に取り組むことによって心を養うことです。
つまり、欠点・短所を直して長所を活かし、それによって人様のお役に立つこと。ひいては、個々の文化、すなわち、自分が育った環境の中で他の人の目には見えない部分に気づくことも、とても大切だと思います。
人間の場合、草花と違うのは、自分の花を咲かせる場所を自分で決めてきている、という点だけです。
そこが自分の魂の成長にとってふさわしい場所だからです。
自分の魂が自分のカルマに合う親を選んで生まれ、親もまた自分に合うカルマを持った子がお腹に宿ります。
であるならば、それぞれに異なる文化を持つ家に生まれたことの意味を深く考え、あなたが今いるその場から不満を持って逃げずに、与えられた道のり、つまりあなたがやるべきことをやらなくてはいけない。そのやるべきことこそが、自分自身の欠点を直すことです。
そこでやるべきことをやり遂げた時、また次のステップへと進んでいく……。それがこの世で生きる意味であり、新たなシナリオづくりにつながるのです。
ですが、そこで逃げたとしても、人生のどこかでまた同じ困難が訪れるでしょう。
カルマは欠点を直すまで次から次へと時を隔て、状況を変えて追いかけてきます。
カルマは前世で蒔いた種!
現世では理解できないけれど、この世へ来る前に自ら蒔いた種である限り、その実は自分で刈り取らねばならない。
たとえ記憶にはなくても、魂はそれを知っているのです。
あなたはそのために今、ここに生まれてきた__このことを素直に受け入れられるかどうか……。
いずれにしても、人生で起きることがらを自己責任として捉え、弱い自分に打ち克つべく、一つひとつ目の前の壁を乗り越えていくことによって心が鍛えられるのは確かです。
要は、困難な問題にぶつかった時、他人のせいにするか、それとも、自分の責任において前向きに対処しようと努力するかです。
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