ひと口に「身近な人」と言っても、相手が家族の場合と、他人の場合では、当然、交流の仕方も違ってきます。
家族であれば、多少のいさかいがあったとしても、お互いに血を分けた家族であるがゆえの最小限の愛情があります。
喧嘩をしても、時間が経つといつの間にか元の状態に戻っていくように。
時には、かなりひどい言葉を投げかけて口をきかなくなったとしても、よほどのことがない限り絶縁することはないでしょう。肉親なら、いつかどこかの時点で自然に相手を許せるようになるからです。
ところが、それが友人や知人、職場の人となるとまた別で、どんなに親しくても、やはり他人は他人で、そこには「異なる家族文化の壁」があります。
よく「同じ釜の飯を食べた仲間」と言われますが、生まれ育った環境、家庭ごとの文化が違うので、すべてが家族と同じようにはいきません。
色で例えるなら、家族は同系色、それに対して、家族以外の人間関係は、まさに色とりどりで、まったく正反対の色も少なくないのです。
この「文化の違い」をどれだけ理解しているかによって、他人との交流がうまくできるかどうかがかわってきます。
家族以外の、友人、知人、職場の人などとの関係は、この文化の違いをしっかりと見極め、認識しながら交流することが大事で、お互いの文化や価値観の違いを無視してつき合おうとするとうまくいきません。
なぜなら、それぞれが自分の文化が「常識」だと思っていて、それとは違う文化、価値観とぶつかると相手の方が「非常識」だと思ってしまいがちだからです。
もちろん、これは夫婦間においてもあり得ることですが、要するに、相手の文化に対する理解がないと、自分の常識に基づいて判断するため、何らかの衝突が起こるのは当然と言えば当然のことです。
異なる文化を持った人同士が、なぜ運命的な糸に引かれて出会ってしまうのか?
それは、違いがあるからこそ相手に対する思いやりや理解力が求められ、そこでの交わりが双方にとってのカルマゆえの修行、すなわち、魂の向上につながるからです。
言い換えると、文化の違う相手と交流するためには、思いやりや忍耐、理解力や判断力がなくてはならず、それらを身につける努力を怠ってしまうと、人との交流がうまくできなくなってしまうのです。
現実問題、十箇所の職場があったとしても、皆が和気あいあい仲良くやれて何の問題もないところは、なかなか見当たらないといいます。
それはまさに、この世の「修行者同志の集まり」ゆえです。
どんな職場であっても、人とのすれ違い、衝突やいざこざ、何かしら相手への不平不満がつい出てしまうのがこの世の人の性。
だからこそ、相手に対する思いやりを持って理解力を深めながら、自分の我を抑えることが大事で、その努力の積み重ねが心を成長させ、魂を向上させることにつながるのです。
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