知識の大切さについては、これまでも述べてきましたが、一言で言うと、物事の理解力や判断力を養うためです。
気づくべきことに気づけないでいるのは、自分の中での知識不足が原因になっていることが多々あります。
不登校やいじめ、非行や家庭内暴力などの原因として、親自身の子育てや教育についての知識不足があるように、夫婦の不和、嫁姑問題、恋愛関係や職場の人間関係のトラブルなども、同じように、相手に対する理解不足や物事の判断力の足りなさ、未熟な考えや我欲などの心のあり方からもたらされる誤った言動や態度に原因があります。
ここには書けないような性や暴力に関する男女のトラブルをはじめ、病気に対する捉え方、先祖供養など目に見えない世界の誤った考えなども、その原点をたどると必ず心の不足、知識不足からきています。
人間社会において何が正しいことで何が悪いことなのか。
人としてしなくてはいけないこと、してはいけないこと。
本当に正しい知識と誤った知識との違いを見分ける判断力が欠けていることが、トラブルや問題の根本原因になっている。
言い換えれば、トラブルの元には、必ず原点となる出来事や間違った考え、無知がある
なので、そこを改めるには、いかに理解力や判断力を養うかが問われるのです。
そのためには、見える世界、見えない世界を含めて世の中すべての知識が役に立ちます。
何千、何億という知識があり、時代と共にその知識が新たに修正されたり、増えていくことから、知識を自分のものにしていくことには生涯学びの連続です。
いろいろな分野の本を読んだり、テレビや映画を見たり、インターネットなどから知識を得る。また趣味や仕事を通して学んだり、家族や友人、知人などから自分が知らないことを教えてもらったり体験を重ねる。あるいは公の場などで、反面教師という形で見ず知らずの人からも学ぶこともできると思います。
ところが、「私はわかっている」「そんなことは知っている」というプライドや過信があると、もっと知識を得て賢くなろうとか、積極的に他人から学ぼうとは思わないでしょう。
無邪気な子供が、何でも知りたがって知識を得ようとするのは、大人のような見栄やプライドがないからで、だからこそどんどん知識を吸収して、心も成長していけるのです。
もちろん、そこに自分を良く見せたいとか、カッコよく振る舞いたい、目立ちたいという我があれば、その知識が誤った方向に使われてしまうので、純粋に学ぶ姿勢が大事です。
正しい理解力や判断力を養うために、幅広い知識、常識、良識が必要なのであって、知識が乏しいと、物事を理解したり判断する材料が少ないがために、独断や偏見が生まれやすくなるということです。
それゆえ、本当は間違っていることでも、「自分は正しい」「間違いない」「相手が間違っている」などと勝手に決めつけたり、思い込みやすくなります。
更に、「他人から良く見られたい」というプライドや人を見下すような我欲があるとなおさら相手の気持ちや考えも無視して、間違った考えややり方に気づくことなく突き進んでしまう。その結果、他人との間にトラブルや衝突が起きてしまうのです。
いわば、「無知なるがゆえの暴走」です。
自分が気づかない “心の暴走” をくい止めるためのブレーキとなるのが、幅広い知識です。
知識を得て、理解力や判断力を養うことによって、「あぁ、なるほど、そういうことだったのか」と初めて自分の未熟さに気づいたり、正しい知識を判断材料に加えることで、「それは知らなかった、今まで自分では気づかなかったけれど、これからはそのように心がけよう」などと自分のことを客観的に見て、改められるようになります。
自分のことを過大評価しているがゆえに暴走するのであって、暴走を止めるには、幅広い知識を得る中で無知な自分を自覚する、未熟な自分をわきまえるということで、それが他者とのトラブルを避け、調和に至る道でもあるのです。
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