「ご先祖様は私たちを守ってくれているんでしょうか?」という質問を受けることがよくあります。
どのような方々でも神仏のご加護があり、ときには亡くなられた先祖が見守ってくれている場合もあるようです。
たとえば、私の場合、亡くなった母が生前と同じように、仕事で無理をし過ぎる私を案じたりなど、傍に来て気遣ってくれているのがわかります。
もう亡くなってから何十年も経っているのに、なぜ生きているときと同じような関わりが今も続いているのか?
私の母のみならず、他の亡くなった方との会話が、転生しても、どうして前世と同じようにできるのか? 私自身、不思議に感じます。
この謎だけはいまのところ解けていませんが、もしかしたら、神仏が母の姿として現れるのかもしれません。
いずれにしても、この世に生きている私たちが考えなくてはいけないのは、何度もいうように、自分自身の心を磨いて、少しでも成長を遂げることです。
心、魂、スピリットを向上させることが、この世に生まれてきた目的だからです。
それこそが、輪廻転生というやり直しのチャンスを与えられている、私たち一人ひとりの責任であり、それと同時に、肉体という器を提供してくれた先祖に対しての義務でもあるのです。
私たち一人ひとりが、心の修行を続けながら、一歩でも向上できれば、それが結果として、運命共同体である先祖にも良い影響を及ぼすことになります。
「先祖が子孫に祟るから供養をしなければいけない」とか「先祖が何とかしてくれる」という考えではなく、子孫が心の欠点を直さない限り、いくら先祖供養をしても意味がありません。
そのような考え方は、
「ご先祖様、あなた方が悪いから、子孫である私たちもこんなに苦しんでいます。あなた方も苦しんだでしょうけれど、心を静めて許し、子孫を守ってください」
というような不遜な態度です。
それよりも、
「ご先祖様、あなた方の家に縁あって生まれ(嫁ぎ)ました。私たち子孫は、自分の心を直し、そして心から感謝の念を持ってご先祖さまをお守りし、手を合わせてお祈りさせていただきます」
という方が、先祖にも、また子孫である私たちにとっても大変有意義であり、まして私たちの子どもや孫が、そのような心で手を合わせてくれたならば、どれほど「ありがとう」と喜べるかもしれません。
縁ある人とは必ず、カルマ・グループとしてつながっている以上、他の誰でもない、まずあなたご自身が変わることによってのみ、神仏のご加護も、先祖のさらなる成長も望めるのです。
そして、そのように生きることが、現世という「気づきのチャンス」「やり直すチャンス」をムダにすることなく、幸せへと続く道であることを、ご理解いただきたいのです。
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