私たちは、今日一日が終わって眠りにつくとき、今日と同じようにまた「明日」が来ると信じています。何か特別なことが控えているという場合でない限り、「明日も平穏に暮らせるだろうか」という心配は抱かないものでしょう。日々は当たり前に続いていく、と心のどこかで信じていられるからこそ、私たちは生きていくことが出来るのです。
もし、「大きな隕石が地球に落ちてきて、明日の夜の◯時をもって、あなたはもちろんのこと、地球に生きるすべての人の人生は終わりです」と宣告されたら、目の前の小さな悩みなど、どうでもよくなるのではないでしょうか。日々の悩みが、どうでもいいことだと言っているのではありません。毎日をきちんと生きていくためには、目の前の悩みを一つひとつ解決していくことがとても大切ですし、それこそが自らを成長させ、カルマの浄化に繋がることは繰り返しお話ししてきました。
しかし、美容院の予約を取ることや、ゴミの分別や、仕事の納期にだけ一生懸命になりすぎて、当たり前の毎日を過ごせるよう自分を支えてくれているものをないがしろにしてしまっては本末転倒です。
自分の幸せを形作ってくれている物、事、人をしっかり見つめ直し、改めて感謝してみましょう。
私が神と接する中で知り得た「気づかなければ何も変わらない」という考えは、決して悪いことに対してだけではありません。
ある日、拝殿に子どもの将来のことを聞きたいという老婦人がいらっしゃいました。物腰も口調も柔らかで非常に礼儀正しく、接しているこちらの背筋も伸びるような清々しい印象の方です。私は早速神に依頼の内容について伺ってみました。
すると障害を持った男性が、どこか公民館のホールのようなところで、楽しそうに何かの作業をしているのが見えました。その様子から、周囲の人に非常に大事にされていることが窺えます。そのことを告げると老婦人は、本当にホッとした様子で、お礼をおっしゃいました。実は、自分はもうガンで余命幾ばくもない。夫ももうずいぶん前に鬼籍に入ってしまったので、今日まで母一人子一人でやってきた。私が死んでも、障害を持った息子が身よりもない中でちゃんと生きていけるのかが心配でたまらなかったが、お話を聞いて心残りが消えたというのです。
私が視た男性のハンディキャップはかなり重いようだったので、思わず「大変な人生をお過ごしになってこられましたね」とねぎらうと、老婦人は「息子に障害があると分かったときには目の前が真っ暗になり、もう何もかもお終いだと思ったこともありました。毎日泣いてばかりで、息子の顔を見るのが辛く悲しかった。でも主人は、自分もショックを受けたに違いないのに、そんな私に、この子がどんな障害を持っていても、僕たちの子どもであることに変わりはないだろう。僕はこの子が可愛くて仕方ない。君はそうは思わないのか? と優しく問いかけてくれたのです」と目に涙を浮かべました。
そして「そのとき私は、我が子のハンディにばかり気をとられ、我が子の心をちゃんと見ていなかった自分を本当に恥ずかしいと思いました。純粋な我が子を育てるうち、いつしか障害などまったく気にならなくなり、いつまでもこんなに可愛いままでいてくれる息子に感謝さえするようになりました。夫が亡くなってからは大変なこともありましたが、困ったことがあると周りの人がいつも助けてくれましたので、今までつつがなく生きてこられました。日々感謝しかありませんでした。この子が、私がいなくなった後も楽しく過ごせるのなら、私も息子も本当に幸せ者です」とおっしゃったのです。
この老婦人は、ご主人の力を借りて、自らの悪いカルマに「気づき」、負のカルマを消滅させ、周囲の人々に感謝の気持ちを忘れないことで、自分だけでなく息子さんをも幸せに導いたのです。親子になるのも、運命で定められたご縁によるもの。どんな子どもも、自分のカルマに合った親を選んで生まれてきます。お子さんがこのご夫婦を選んで生まれてきたことには、必ず理由があるのです。そう、こんなに素晴らしい母に育てられたからこそ、彼女が亡くなった後も息子さんは明るく生きていけるのでしょう。
どんな悩みも、それはあなたが生きている証拠です。
悩みは「悪いカルマに気づくこと」への第一歩でもあります。
「今、自分がここにいる」ということにまず感謝して、不満や愚痴を一度、呼吸と一緒に自分の体の外に出してしまうような気持ちで深呼吸してみてください。そして、自分が今「幸せだ」と思える理由を再確認してみましょう。
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