家庭内の文化は、「うちではこれが当たり前」という、その家族だけで通じる “常識” になっていて、普段は他の家庭との違いを意識してはいないのが普通です。
ところが、例えば結婚をして別の家庭に入ると、そこで嫁ぎ先の家庭の “文化”、“常識” との出会い、「なんでこうなんだろう?」「これ、おかしいんじゃない?」と相手の家の文化が “非常識” に見えてしまうことがままあります。
それが高じてくると、「うちは正しい。間違っているのはあちらの家」という対立が生じ、トラブルの原因となるわけですが、これこそ、家庭内文化についての知識不足です。
つまり、相手の文化に対する無理解と偏見で、そこには自分の文化を絶対視する傲慢さがあります。
これがもっと大きな範囲や規模で起きているのが、人種差別や国家間の対立、宗教戦争です。
自分の家庭の文化が “常識” だと信じ込み、相手の文化を “非常識” だと決めつける心、この歪んだ未熟な心が親類縁者間のトラブルや争いの原因になっていることが実に多いのですが、当然のことながら、自分の家庭で当たり前のことが、他の家庭でも当たり前だとは限りません。
ですから、家族や親族の間でトラブルが起きたら、まず自分の家庭の “常識” についてよくよく考え直してみる必要があります。
自分の家庭では “常識” と思っていたことが、相手の家庭や一般常識から見たらかなりずれた “非常識” かもしれないからです。
自分が生まれ育った家の “常識” を改めて考えてみるのも、新たな知識の獲得になります。
では、家庭内文化が違うもの同士、どのようにつき合えばトラブルが防げるのか?
異なる家庭内文化を持ちつつも、その一方で、誰にでも通じる間違いのない常識や良識、すなわち一般常識と呼ばれるものがあり、その一般常識を身につけることです。
例えば、方言も文化の違いの一つですが、自分の地域の方言は他の地域ではなかなか通じにくいことから、標準語を使うことによって方言の壁を越えたおつき合いができます。
この誰にでも理解できる標準語のように、それぞれに異なる家庭の文化を持っていても、その中で共通した考え方やものの見方、あるいは、ルールやマナーがあります。
これが一般常識や良識といわれるものです。
例えば、世界宗教と呼ばれるものも同じで、それぞれに宗派の違いはあったとしても、どの宗教も人としてのあるべき姿や道を示しています。
仏教やキリスト教にしても、つまるところは、人の心を戒めて、慈悲や愛、心の清らかさなどを説き、悩みや苦しみから解放されて幸せを得るための精神的な規範を示している点では共通しています。
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