宗教間の対立や戦争が起きるのはなぜか?
それは宗派という個別の文化が壁となって、相手の文化を認めず、自分の文化が絶対的に正しい、相手もそれを受け入れるべきだという押しつけが高じてしまうからです。
共通するモノサシ(規範)や理想とする姿を求めるのではなく、自分のモノサシ、自分たちだけの理想を “善” として、相手のそれを “悪” と決めつけているのです。
この「自分だけが正しい」「相手が間違っている」と信じ込んで、自分の文化を相手に押しつける考え方や態度が、すべてのトラブルや争いの根っこにあります。
その誤った信念が強いほど、徹底的に相手を攻撃し続け、悪しきカルマを上塗りして、来世にまで魂の借金を持ち越してしまうことになるのです。
「絶対自分が正しい」と思い込んでいる人は、相手を指導しているつもりになって、相手が「参った」「あなたが正しい」というまで我を張り、自己主張をやめようとしません。
この我欲と傲慢さが、本人が最も気づきにくい欠点であり、心の醜さ、愚かさです。
このように、対人関係のもつれや争いの原因は、相手の文化を尊重できない自己過信と傲慢さにある、といっても過言ではないでしょう。
個人と個人、あるいは、家庭内であれ、親族間であれ、地域社会であれ、国家間であれ、宗派間であれ、それがどのようなレベルの対立や争いであっても根っこは同じです。
そこで、不要なトラブル、争いを避けるには、相手の文化を尊重する心と、理解するための努力が欠かせません。
それこそが、調和や平和をもたらすカギになります。
たとえ相手の文化を充分に理解できないとしても、同じ平和や理想を求める人間としての共通点を探ることで、衝突を避けることはできるでしょう。
根気よくその共通点を探っていくことが、人間としてのあるべき姿であり、困難な状況を平和的に乗り越える知識につながります。
そのためにこそ、さまざまな文化を持つ魂が、共通の修行の場としてこの世にやってきているのです。
個人の文化、家庭の文化、地域の文化、民族国家の文化という違いを乗り越えて、いかに調和し、切磋琢磨しながら、人としてあるべき姿に近づけるか、という課題を持って……。
その意味では、一人ひとりにとっての魂のシナリオがあるように、人類全体に課せられた魂のシナリオもあるわけです。
いずれにしても、その見えないシナリオを自覚して、一人ひとりの課題を克服していく努力を続けることが、本当の意味での平和活動につながるのではないかと思います。
もうおわかりかと思いますが、その努力とは、知識を得て、人としてあるべき姿に少しでも近づくために心を養い、魂を浄化することです。
どんな家庭や国に生まれ育ったとしても、どんな宗派やカルマ・グループに属していたとしても、人としてあるべき姿、やっていいこと、悪いことは、共通しています。
あの世においての基準が、魂の清らかさであるように、この世において成すべきことは、自分の欠点、不足に気づいて直し、少しでもカルマを清算していくこと。
そのように、魂のシナリオにそって生きる中で、困難な状況から逃げずに、弱い自分に鞭打ちながらその壁を乗り越えていく時、心が磨かれ、それまで気づかなかった家庭内文化の非常識もわかるようになるでしょう。
だからこそ、幅広い知識を得て心を養うことが大事で、それがこの世に生を受けたすべての人に共通した課題なのです。
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