なぜ自分は不幸だと嘆いてしまうのでしょうか?
それは自分の思い通りにならないことを、すべて自分以外の人や出来事のせいにしているからです。
そのような人に限って、不幸の原因は本人の心の未熟さにあり、自己責任であることを指摘されると、烈火のごとく怒りだします。
実際問題、本人が気づいていない不足や落ち度をこちらが指摘すると、すぐにインターネット上で誹謗中傷したり、電話で一方的に罵倒してきたり、抗議内容を書いた長文の手紙を送りつけてくるような人も過去には何人もいました。
「あんなありもしない自分の欠点をいって、それを直せとは何事か!」
「全然当たっていない。金を取るためにあることないこと勝手にいっているんだろう」
「本を出したりテレビに出て、表ではいい顔をしながら、裏では人を怒鳴ったり聞きたくもない説教をして、あなたは偽善者だ」と。
このような反応があるたびに、正直、私の心はとても傷つきました。
あまりの幼稚な批難や非常識極まりない態度に対して、腹を立てるどころか、呆れ果てて声も出ないことも何度もありました。
しかし、周りに対して話をしたとしても、「関係ない」こととされるならと、誰にもそれを告げることもできず、「辛い」という表現さえできなかった……。
それがくり返されるたびに、自分という存在が嫌になって、仕事上のことはよく理解してくれていることを知りつつも家族とも話をしたくなくなるほど、うなだれてしまうことさえありました。
しかし気持ちがどん底まで落ち込んでも、また立ち上がり、がんばり続けてこれたのは、そんな私を黙って見つめている神に対して、心の中で「私は間違ったことはしていない」という仕事上の自信があったからです。
ならば、今は、「無言と服従の心」をもって神と接しよう。
批難されるのもカルマのシナリオであるならば、乗り越えてみよう。
そう固く心に決めて前進し始めると、大変気持ちが楽になったのです。
とはいうものの、そのような体験は一度や二度ではなく、何度もくり返しやってきました。
そのつど一週間から十日ほどかけて自分の心に鞭打つようにして立ち上がろうと努力してきた私なのに……。
それもこれも、「自分自身の道のりを歩まずして何ができるか」「胸を張って帰るんだ」という思いだけで……。
そして、今、しみじみ思います。
若い頃、あれほどこの道が嫌で神に反発し、手こずらせ、困らせたであろうこの私が、あれから30数年の歳月を通して、神や人々に鍛え抜かれたことで「忍耐」という大きな精神力を得られました。
今さらながら、神に謝りたい気持ちでいっぱいです。
「この道を嫌った私のわがままをどうぞお許しください」
「今は心から感謝申します」と。
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