自分の欠点に気づくことにより、相手をも許すことができ、それにより自分の心のやすらぎを得ることができます。そのためには、いろいろな分野の知識をたくさん得て、あらゆることから学ぶことが大切です。つまり、学びとは覚えることです。
知識は数限りなくあります。
さまざまな分野の知識を学ぶことで、物事の判断力や理解力が身について自分のいたらなさに気づき、視野が広がっていきます。そうすると、腹の立つ出来事でも「理解」によって、わけもなく我を通して、騒ぎを大きくすることもなくなり、一方的な「物のわからない」いい方をすることもなく、人との和合もできるようになります。
知識を得るための最も身近な方法は、本を読むこと、テレビを見て学ぶ、他人のふりを見て直すなどです。
昔は本を読むこと自体が限られていました。当時は、庶民が本に親しむ習慣は今ほどではなく、中でも書斎がある家などは憧れの的だったようです。書斎は、どちらかというと、優雅な暮らしをしている家にしかなかった時代だったのではないでしょうか。
そこには、大きな書棚が置かれていて、文学作品や百科辞典などがたくさん並べられていて、そこで父親が本を読んだり物書きをしたりしながら、知識、教養を深めていたと思います。
そして、その家の子ども達も自然な環境、つまり、生活の行動の中で当然のごとく、いろいろな知識を覚えていたと思います。しかし、それができない人々は、一所懸命働くのみで、なかなか今のように知識を得ることができませんでした。
昔は限られた場所にしか図書館はありませんでしたが、やがて各地にできて誰でも手軽に本を読むことができ、希望すれば必要な本も借りられるようになりました。また、テレビからも知識を得られるようになり、さらに今ではインターネットなどでもさまざまな情報、知識が瞬時に得られる時代になりました。
つまり、現代では幅広い人々が昔より簡単に知識を得ることができるようになり、豊かで便利な生活ができるようになったのです。改めてそれを比較すると、「進歩」というのは莫大な数の知識から生まれたといえるのではないでしょうか?
昔から、「故きを温ね新しきを知る」(温故知新)といわれるように、自然や社会、人文科学などの学問の知識の中から、いろんな考え方や生き方などのヒントを得てきたのです。
この「新しきを知る」という言葉には、常識、良識、教養、知恵といった、人がよりよく生きていくための時代を超えた知識も含まれていると考えてみてはいかがでしょうか。
だとしたら、自分自身の不足や欠点をよく知り、何がしてはいけないことか、あるいは、しなくてはいけないことか、どうすれば幸せや平和がもたらされるのか、どこに悩み・苦しみの原因があるのかといったことも、さまざまな知識を得ることで気づけるようになるはずです。
すなわち、気づきとは知識・常識を得ること。
知っているつもりから、さらなる知識を見い出し、あらゆることがらについて謙虚に学ぶ。その姿勢こそが、気づきをもたらしてくれるのだと思います。
しかも、今は昔と比べてその環境が整っているので、本人さえその気になれば、あらゆる分野の知識が得られやすい時代です。
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