相性は、良い、悪い、普通などと決まっているのは確かですが、それは感性や考え方がどれくらい近いかによって、いい悪いと言っているのです。感性や考え方がまったく同じという人は存在しませんから、どんなに相性が良くても違う部分はたくさんあるわけです。
相性を育てるというのは、このズレている感性や考えを合わせることではなく、違いを認め、お互いに受け入れ合うことなのです。
ですから、どんなに相性が良くても違いを受け入れられなければ、自分の我を優先するようになるので、ふたりの関係性はギクシャクしたものになってしまうのです。逆に、相性が悪くても相手を受け入れることができれば、ふたりの関係性は深まっていくわけです。
さて、では “夫婦の相性” について考えていきたいと思います。
人の出会いというのはカルマによって決まりますから、夫婦の場合も同様に “出会うべくして” 出会います。
これを世間では運命と呼んでいるのですが、この響きに多くの人が惑わされてしまうのです。
「夫婦は運命によって出会うのだから、“相性” はいいはず」
しかし、運命は必ず幸福を呼び寄せるものではなく、因果の法則そのものなのです。つまり、運命というものは、“原因があって結果がある” という一連の流れが表れるものなのです。
「相性がいい悪い」というのは、出会ったときの感性、考え方によるわけで、その後のふたりの関係性を一生涯、保証するものではありません。育てていくものなのです。
この世で夫婦になるふたりが出会ったのは、お互いのカルマの解消のためですから、ふたりでたくさんの壁にぶつかり、それを乗り越えていくことが目的です。
この世で一緒になる目的は人の運命次第ですが、前提としてあるのは、似たようなカルマを夫婦は背負っているのであり、そのカルマを共有し、解消することにあるのです。
現世で出会ったふたりは、お互いのことを想い合い、そして結婚をするのですが、身近すぎるがゆえに、馴れ合いの中で次第に相手のことを考えないようになり、自分が持っている本性である「我」が出てきてしまうことがあるのです。
結婚とは生活ですから、恋人同士のときのような燃え上がる感情も日々の生活の中で落ち着き、時が経つにつれて感情的な行き違いが起こるようになってしまうことは、長い人生の中ではやむを得ないことかもしれません。
しかし、似たようなカルマを背負う者同士であることに変わりはなく、カルマの接触は続いていくわけです。
ふたりは決められた運命によって出会い、カルマの接触が始まり、過去世の清算をしていきます。
つまり、結婚をして終わりではなく、むしろ結婚からがふたりのカルマのスタートであり、結婚生活そのものが、ふたりのカルマの解消の連続とも言えるのです。
相性というものは一生変わらないものではなく、お互いの接し方によって変化していくものです。
お互いに理解し合い、良い相性を築きあげている夫婦に共通するのは、親しき中にも礼儀ありの、「けじめ」のあるコミュニケーションです。
夫婦だからといって、なんでもかんでもオープンにするのは、摩擦が起きる原因になってしまうことがあります。
夫婦といえども、相手を尊重して、礼節をわきまえることは大切なのです。
穏やかな夫婦関係を築いていくには、まずは穏やかな言葉が必要不可欠です。
「もお、ちょっとは何か手伝って!」
「ごろごろテレビばかり見ていないで、掃除して!」
「そんな高いもの買えないでしょ!」
「なんで脱いだTシャツここに置いてるの!」
「それくらい自分でやってよ!」
こうした言葉は、私たちが日常で何気なく使っている言葉ですが、夫に対する普段の自分の言葉を思い出してみてください。
「○○してよ」
「○○したらダメ」
これは「子育て」における、子どもに言うときには注意が必要な言葉として、よく例にあげられるものと同じです。
「勉強しなさい」
「早くお風呂に入りなさい」
「テレビを見てはいけません」
「ゲームをしてはいけません」
子どもといえども、ひとりの人間です。相手に命令するような言葉や、やろうとしていることを否定するような言葉というのは、どんなに近い関係の相手にも、かなり気をつけなければ良い結果は望めません。
気づかぬ間にそうした言葉を使っていないか、自分の言葉遣いを振り返ってみてはいかがでしょうか。
夫に何か手伝ってほしいのなら、「○○だから、○○してくれる?」といったようにはっきりと理由を伝え、「手伝ってくれない?」とお願いすればいいのですが、慣れの中でそこまで話したほうがよいということを、忘れてしまいます。
男性はきちんと事情を説明すればわかってくれるものです。コミュニケーションはキャッチボールのようなもの、相手が受け取れるようなボールを投げないと、受け取れないばかりか、相手は投げ返すこともできません。
ケンカが絶えない夫婦というのは、相談者を見ていますと、言葉に表現が雑である場合が多いように見受けられます。また、そうした方たちの過去を透視してみると、ご両親もまた “雑な表現の” 言葉遣いをしている場合も多いのです。
夫婦というのは長い間ずっと一緒にいますから、良い意味でも悪い意味でも、行動や考え方も似てきて、“ツーカーの仲” になっていきます。
「ねえ、アレどこいった?」
「おーい、こないだのアレ、どうなった?」
言葉というのは簡略化される傾向がありますから、この言葉の不足がお互いの理解のズレを生んでしまうこともあるのです。
言葉足らずと言いますが、悪意がまったくなくても、説明が足りないために誤解を生んでしまうのは珍しいことではありません。
慣れの中で「細かく説明しなくても大丈夫だろう」となり、どんどん言葉がなくなっていくと、命令形や否定形ばかりになりがちなのです。
ずっと一緒に生活をしてくれる相手だからこそ、丁寧な言葉、その表現に気をつけていきたいものです。
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