青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

本来の面目

人生における日陰の時というのは、単に運が悪い、ものごとがうまくいかないといった程度のことがらに限りません。

 

時に、心が張り裂けんばかりの苦悩に直面することもあります。

 

まさに人生最大のピンチ、非業の運命に遭遇する「まさか!?」の出来事です。

 

実際に、過去に起きた誰もが知っている例をあげましょう。

 

フランス革命の時、フランス最後の君主ルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチンで処刑にかけられたことは、皆さんも歴史の授業で習ってご記憶のことかと思います。

 

死刑執行人によってルイ16世が処刑された後、革命裁判所は次に妻のマリー・アントワネット反革命の生贄として処刑を行うために、息子のルイ・シャルルに「母親に性的行為を強要された」との嘘の証言を強要し、無理やり罪状をでっち上げて、彼女に死刑判決を下したといわれています。

 

マリー・アントワネットは刑が執行された後も埋葬されず、膝の間に頭を置かれた状態で半月近くもの間マドレーヌ墓地の隅の草むらに放置されたままだったそうです。

 

処刑された本人たちの心情、苦しみは如何ばかりであったか。残された子供にとって、この両親の死は、まさに非業の死、非業の運命としかいいようがないのではないでしょうか。

 

また、革命の間にパリで処刑された人の数は、一説には犯罪者も含めて2千900人に達したそうです(全国総数では1万人以上)。

 

その多くは裁判もないまま拘置所に拘禁されていたそうですが、処刑された人たちはどれほど恐怖を感じていたことか……。

 

そんな状況の中、公開処刑の場にはその様子を笑って見ていた人もいたことでしょう。

 

自分の親が、夫が、妻が、子供が、人前で嘲笑されながら殺されていく姿を見ている家族たち。その思いはいかなるものか……。

 

残された親族たちにとっては、まさに心が張り裂けんばかりの苦しみと悲しみに満ちていたに違いありません。「できることなら自分が身代わりになって殺された方がまし」と思ったかもしれません。

 

それなりの罪があったのならば、仕方ない、諦めざるを得ないかもしれません。

 

しかし、罪もないものまでもが次々に処刑されていたという事実。

 

ありもしない罪をかけられて殺されていった人たちの家族にとっては、無念という言葉では決して収まらない。これを非業の運命といわずして何といえばいいのでしょうか。

 

一方、日本では、かつて切腹という風習がありました。

 

文字通り、短刀で自分の腹を切り裂いて自害する方法ですが、自分の命と引き換えに一族の名誉と存続を保つという意味があり、武士にとっての一種の名誉刑であると同時に、敵につかまって首を切られることを避けるための自決法でもあったようです。

 

いずれにしても、切腹を迫られた本人の無念さ、覚悟とその心情、そして、やはりそこには残された家族にとっての心が張り裂けんばかりの苦しみ、悲しみがあったであろうことは想像にかたくありません。

 

とりわけ、あらぬ罪を背負って切腹を強いられた武士の妻にとっては、命令を下した役人たちに対して、怒り心頭に発し、呪っても呪っても足りないほどの憎しみを抱いたとしてもおかしくないでしょう。

 

これも非業の運命です。

 

しかし、たとえ一家の主をそのような形で亡くしても、いつまでも嘆いているばかりではいけない、自分たちは生きなければいけない。家族の人生はまだ残されている。まして当時の人々にとっては、なんとしても生きて主の無念を晴らして、一族の名誉を回復しなければ……との思いを強くしたことでしょう。

 

このことは、人生の「まさか」の時にこそ、どのようなふるまいができるかという、心のあり方が問われることを意味しています。

 

非業の運命に向き合い、その陰を背負いながらもそこに光を当てるように前に進んでいこうとするのか、それとも、他人のせいにして恨みつらみを吐いたり、失意や嘆きのままいつまでもそこで立ち止まってしまうのか……。

 

歴史上でも、非業の死を遂げた人物が身近な人たちに光をもたらした例があります。

 

松下村塾で知られる吉田松陰もその一人です。

 

松蔭は、尊王攘夷のために自らが企てていた老中暗殺計画について、至誠を貫くべく、幕府の役人に告げたことによって、死罪がいい渡されます。

 

斬首の刑に処せられる時、すでに死ぬ覚悟ができていたことから、平静かつ潔い姿だったようで、首切り役が「いよいよ首を斬る刹那の松蔭の態度は、実にあっぱれなものであった」とふり返っています。

 

松蔭は、遺書ともいえる『留魂録』で次の有名な言葉を残しています。

 

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂

 

たとえ自分の身は刑死しようとも、自分の魂は必ず志あるものに引き継がれる。

 

そう信じていた松蔭の門下生や家族たちが、松蔭の名誉を回復し、同じ志を遂げるために奔走したことが明治維新の原動力となっていったことは、広く知られています。

 

このように、非業の運命に直面した時、人は改めて「生きる意味」について真剣に考え、その困難を乗り越えるために懸命に努力をし、生き抜こうとするものです。

 

いったい自分は何のために生まれてきたのか?

 

これからどのように生きていけばよいのか?

 

命をかけてでもやり遂げたいことは何なのか?

 

そのように魂が自問自答する時、そこに光が射し始めます。

 

なぜならその問いかけは、あらかじめ運命のシナリオを決めてきた自分自身の魂の記憶を呼び覚ますことにつながるからです。

 

私は信仰者として生きていても、みなさまと同じ人間、いろいろな感情もあります。しかし、神によって「これでもか、これでもか」とばかりに、さまざまな苦しみの中で鍛え抜かれた精神力にプラスして私を助けてくれたものは、歴史上、実在した人々のどんなに厳しい状況の中にあっても、苦難を乗り越えていく姿でした。それにより、いくら腹の立つ、苦しい出来事にも悟りの心を持って臨むことができ、私の心を穏やかにしてくれました。

 

 

 

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