戦後生まれで、今の若い世代の方々とは違う時代を見つめてきた一人の人間として、拝殿で驚く光景を見ることが時々あります。
親と同席した場合、親が小さくなってうなだれたり、必要以上に子どもに気を遣う姿は、私も人の子の親として見ても、見栄えのいいことではありません。
大学を卒業したというある娘さんは、私の目の前で自分の親を怒鳴りつけ、私の回答に対しても、私がまだ話し終わらないうちに「でも……」「いや、それは……」「違う、違う」などと口を挟み、自分勝手な主張や言い訳を一方的に喋ろうとしました。
たまりかねた親が、「話を聞いたら?」と言うと、その娘さんはいきなり立ち上がって、まるで小さな子どもを罵るように親を怒鳴りつけました(私の娘だったら、「ブッタライて(殴って)やりたい」思いでした)。
相談に来られる人の多くは、そのようなタイプのお嫁さんやお婿さんをもらった嫁姑感のトラブルです。
「実家で自分の親に口答えをしていれば、嫁に行っても、姑に対しても慣れれば平気で我を通し、口答えをします」と。
年長者に対し、敬うこともなく__となれば、職場でも同じことをしてしまう。
これは、子育ての段階で、年上、年長者に対しての接し方の親の教えが不足していた結果でもあるのです。
「やって良いこと、悪いこと」を教えられずに甘やかされてきた子どもは、大人になってから、人に対しても、また公の場でも家の中と同じように我を張って、自分勝手な主張を押し通そうとします。我を張り、相手が何を言っても「自分の考えは正しい」から抜け出せず、本人も対人関係で苦しむこととなるのですが……。
幼児教育の時から、親の「可愛いわが子」「何でも自由にさせたい」が、未来において子どもが悲しむ結果になってしまうのでは、親として淋しいことではないでしょうか?
そこには、心を育てることができなかった、知識不足の親からの連鎖があることも見逃せません。
例えば、以前、拝殿で突然子どものオムツを変え出した人がいました。
臭いがするのでふり返ったら、もう一人の子が床の上にジュースでお菓子を溶かして遊んでいました。
私は驚きながらも、母親に向かって「ここでオムツは困ります」と言いました。
するとその母親は、ジュースで遊んでいた子どもの頬を「バシッ!」と叩いたのです。「ワァーン」と泣き叫ぶ子どもの声。
私の注意された自分の腹立たしさを、関係ない子を叩くことで晴らそうとした母親。
私は黙ってその様子を見つめながら、母親の心理を考えていました。
「このような考えの親は、家でどんな子育てをしているのか?」と。
自分の感情だけで接する親に育てられたら、その子も人の子の親になった時、まさに同じ連鎖のくり返しをするのでは。人から注意されても、「何が悪い!」と開き直るような大人になるのでは__。
その母親は、外見はしっかりした感じの女性に見えるのに、自分の目の前のことすら考えられない様子。彼女のご主人は、「子どものために離婚はしない」と言うそうですが、自分のことしか眼中になく、「人を恐れない」ような母親であれば、果たして子どもに何を教えられるのか?
子どもは、幼児の頃から「人を恐れない」行動をする大人たちの環境で育てば、やがて、それは連鎖となり、そのような心の人間が高学歴を経て社会に出れば、自重することを知らない「人を恐れない」大人になっていく__そのように連鎖が続くのではないでしょうか?
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