人は誰もが、人生という学びの中で自らの不足に気づいてそれを改め、少しでも心(魂)を成長させるために生まれてきている。
なのに、なぜ多くの人が、気づくべきことに気づけないのか?
私は日々相談者と向き合う中で、ずっとその理由について考えてきました。
その大きな理由の一つが、知識不足であることはすでに述べた通りですが、ではなぜ知識が足りないままでやり過ごしてしまっているのか?
まさにそれが「悪しきカルマ」とも言えるかもしれませんが、カルマだから仕方ないというわけにはいかず、知識不足のままでは悪しきカルマの上塗りになってしまいます。
なぜ、自分の知識不足に気づかない、気づきにくいのか?
それは、ほとんどの人が、一流と言われる大学に進学したり、いい会社に就職したり、より条件のいい相手と結婚するなど、自分の利益をもたらすことに関しては知識を増やせても、人の感情や心の動きを読んだり、自分の気持ちを上手に相手に伝えたり、いろんな人と上手に交流するための知識を学ぶ機会が少ないからではないでしょうか。
学問を成すということも知識を学ぶことですが、単に高学歴だけでは知識不足ということも理解しなければなりません。学歴は専門分野の知識を得ているという証に過ぎません。その他の知識、たとえば人と接するうえでの正しい知識等々、それこそが人生を生きるうえでも知るべき大切な知識でもあるのです。
自分の見栄やプライドを満足させるだけの知識しか持たない人は、ようは、上辺だけの損得勘定だけでしか物事を見られず、何事に対しても自分と照らし合わせながら、「あのような心のりっぱな人になるにはどんなことを身につければいいか」と人としての成長を目指したり、あるいは、「あのような人にならないためには、どんなことを注意しなくてはいけないか」と反面教師として学ぶことをしていないのではないでしょうか。
テレビを見たり、新聞を読んだり、人の噂を耳にしても、「自分とは関係ない」と他人事としてすべて聞き流していれば、その知識は決して身になりません。
知識は単に暗記するためのものではなく、それを自分の身に活かしてこそ、心が豊かになるのです。
「なぜか?」「どうしてそうなるのか?」「ものごとがうまくいくには何が必要か?」
そういったことを自分に引き寄せて考え、謙虚に学ぶことで知識が役立つのであって、それは学歴や職業、年齢などには一切関係ありません。
どんなに才能がある人であっても、自分が知らない世界があるわけで、幅広い知識を得ることが人としての正しい理解力や判断力につながるというのもそういう意味です。
ですから、成長する過程で、できるだけ幅広い知識を身につけておけば、それだけ人や社会に対する理解も深まり、どんな人とも上手に交流できるようになると思います。
しかし実際には、多くの人が、学歴などに関係なく、対人関係の悩みを抱えています。それは当然のこととも言えるのです。なぜなら、カルマを持つ者同士が人の世に生まれて、人と接し、ぶつかる心、愛する心等々を体験しながら、カルマという “乗り物” に乗って人生を突っ走るように進んでいくわけですから……。
誰しも、まるでハンドルがないような乗り物に乗っているわけですが、そこで大事故を起こさないようにするためには、自分自身の気づきの心、すなわち、欠点に気づいて、悪しきカルマという「暴走する乗り物」を止めることです。
悪しきカルマとは、気づいて直さない限り暴走事故を起こしかねない盲点であり、カルマが一番恐れているのが「気づき」なのです。
言い換えれば、それだけ「知識不足は根深い」ということです。
それはなぜなのか?
この仕事を通して私なりに気づいたのは、気づけない親、知識不足の親が、子や孫に気づきや知識の大切さを教えられず、知らない間に同じ心の不足の「連鎖」が続いているからではないか、ということです。
ここで言う「連鎖」とは、広い意味においては、それぞれの家庭の中で培われ、親から子へと引き継がれてきた習慣や文化のことです。
それぞれの家族の生き方、生き様と言ってもいいかもしれません。
例えば、食べ物の味つけから挨拶などの礼儀作法、考え方や価値観、人に対する言動や接し方など、家庭内で培われ、また代々引き継がれてきた習慣で、これには人として望ましい「良い連鎖」もあれば、人としての良識に欠ける「悪い連鎖」もあります。
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