拝殿の前でも、平気で子どもを怒鳴りつけたり、のし袋の裏表を確認せず、裏のまま差し出したり、玄関先で他人のブーツが倒れても平気でその上を踏みつけて歩いたり、自分がスリッパを履くため、他の来客用のスリッパの上を平然と踏みつけるような人が少なからず見受けられます……。
そこで誰か人が見ていることに気づくと、途端に直そうとする。
見た目だけ気にして、どう降る舞えば良い人に見られるかに敏感に反応しているだけのことで、いくら表面上つくろったとしても、その人の内面が空っぽであれば、わが子の子育ても心より上辺だけにしてしまいがちで、これが連鎖となれば末恐ろしい気がします。
人が見ていようがいまいが、人としてやって良いこと、悪いことがあり、相手が嫌がることはやらない、相手の気持ちが良くなるようなことを進んでやるのが大切ではないでしょうか。
ある日、私が拝殿に向かおうと玄関先を通りかかった際、一人の男性が玄関先で腰を下ろして何かをしていました。
「どうしました?」
「はい、靴が散らかっていたので……」
彼は、後から来るお客さんのために、前の来客者たちが脱いでいった靴をきちんと揃え直していたのです。
「それはどうもありがとうございます」
「いえいえ、時間があったので」
褒めてもらおうという気持ちはなく、彼の性格だったのかもしれません。
ちゃんと躾がなされている家庭に育った人は、人の嫌がることはやらないし、人が喜んだり、気持ちが良いことは、人に見られていなくても進んでやれるのです。
これが思いやり、心配りというもので、対人関係の良し悪しも決して形式ではなく、どれだけ思いやりを持って相手に接することができるかで決まる、と言っても言い過ぎではないでしょう。
心配りは、玄関先のスリッパ一つにも現れます。
私は訪問先で、来客用のスリッパがぺしゃんこにつぶれているのを見ると、その家の「だらしなさ」を感じます。
そんな時は決まってスリッパがあっちに片方、こっちに片方と散乱していて、その家の人が玄関に現れると、平然とそのスリッパの上を歩いていきます。
当然、ぺしゃんこのスリッパは足を入れずらくなっているので、お客さんにとっては不快感を与えるだけ、私は心の中で「事前に廃棄しておけばいいのに……」とついつぶやいてしまいます。
来客用には、家族とは別のきれいなものを用意しておく。このようなちょっとした配慮がとても大事なのではないかと思います。
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