例えば、「海外留学をすれば就職に有利だ」と単純に思っている若い方も多く見られます。
しかし、わずか2、3年海外に行ったからといって、就職に際して十分な会話ができるようになるほど外国語は短期間に身につかない場合が多いし、留学経験が誰にとっても有利に働くとは限りません。
つまり、海外生活がどのようなものか、語学習得にしてもただ話せればいいというわけでもないわけで、幅広い知識がない、その知識不足ゆえに、人生を非常に安易に捉えているのです。
知識というものは、自分の心が正しい判断で求め、理解し、覚えることにより、確実に身につくものです。
したがって、自分の心がしっかり安定せず、判断力不足で、知識が増えずでは、行動も伴わなくなるのです。
その結果、人の目や世間の評価ばかり気にして、自分の心がどこに向かえばいいかわからない……のではないかと思います。
いつまでも知識不足のままの人は、自分の心が本当に求めているものとは違う、「心だけの理想事」をほしがっているのです。だから、「知識が必要」と言われても、何のことかも理解できず、意味不明なのです。
人それぞれ魂の価値観が違うため、「自分の心が求めるもの」と、「他人が求めるもの」とは当然違います。もちろん、親兄弟とて、同じとは限りません。
大事なのは、「知識、判断力、理解力」の3つです。この3つを念頭に置いて努力することが大切です。
そうすれば、自然にそれに関する知識を求めるようになるでしょう。
そして、さらに正しい方向性に向かってそれを身につけ、それを活かせる努力をすることが気づきとカルマの解消にとって必要な行動、考えであり、その心を水に例えるなら、水の中の濁りを清める行為とも言えます。
それとは反対に、水面上の美しさや軽はずみな上辺だけを考えて行動していては、水の中の濁りに接した時、初めて「失敗」と気づいても、身をかわすべきことさえ知らずに濁りの中にまみれていくことになる。
すなわち、「気づくべきことに気づけず、気づかなければいけないことさえも気づけないでいる__」ことになるのです。
知識を身につけ、知識を活かすこと。
私たちが幾度となく輪廻転生をくり返しているのも、魂の価値観にしたがって心が求める知識を得ながら、過去世の犯した罪を解消し、魂を成長させるため。
ならば、自分の心が求めるもの、関心があるものから徐々に知識を増やして、井の中の蛙にならないよう、人との交流やさまざまな経験を重ねる中で、その範囲をさらに広げていくことが大事です。
中には、さほど物欲もなく、心も清く、人から見ても好感が持てる一方で、神仏には関心がないタイプの人もいます。
それはおそらく、数多くの輪廻転生をくり返す中で、心が浄化され、魂の成長を遂げた人の場合でしょう。それほど多くはありませんが、ごく希にいて、そのような人はもう転生せずともいい状況にあると言われます。
社会的に地位があるとか財を成しているとかは関係なく、むしろ人としてさまざまな欲がないのでごく平凡な生活を幸せと捉え、満足な気持ちで悠々自適に穏やかに暮らしている。実際にそのような人も僅かながらいるのです。
このように、魂は段階的に成長していくので、前世で神との交流に力を入れていれば、現世では神仏に頼らなくてもいい人生を歩む人もいるわけです。これは、神仏への接し方に限らず、前世で行動面などで何かに力を入れ過ぎたりした場合、現世ではそれを望まなくなるのと同じことです。
この世の人間を守り導いている神々にも、与えられた分野の仕事があり、人を助けるという修行を通じて一つひとつ上へと階段を上っていくようです。
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